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図書館戦争

一昨日の日曜日、娘と実写版『図書館戦争』を観に行った。
アニメ版は昨年見ている。
この時は上映している間が少なく、大阪市内まで出向いた。
一昨日は、土曜日かーちゃんは近代建築ツアー兼オフ会で、
自分だけの楽しみを追求したので、罪滅ぼしの土曜映画となった。
母と娘だから水曜日のレディスデーに見れば安く済むはずなのだが、
なかなか仕事と学校、両者のスケジュールが合わない。


実写版はどうかなと危ぶんでいたのだが、なかなかどうして、
ハードな戦闘シーンはしつこいぐらいで、もう少し編集で削っても・・・。
そんな気になるほど気合いが入っていた。
ま、そういう俳優を使ったから最大限写したかったんだろうな。


図書館戦争』見てから読むか、読んでから見るか。
私の場合は半々で、原作を元にしたマンガを後輩に勧められ、
それが思いの外面白く、原作に忠実でもあり、なかなか良いと思っていたら、
娘もファンで、何かとぶつかりがちな思春期の子どもとの接点に、
共通のマンガ、映画は欠かせない我が家。


二人してウルウルしたのは、重要な人物が劇中で引退するから。
本来原作にはなく、映画の中の人物なのだけれど、
まあ、今は無き児玉清さんの後を引き継いだという設定。
石坂浩二が図書館の自由を守る御大として熱演していた。
知的なお二人にはぴったりの役柄。
児玉清さん、遺影となってお亡くなりになった後も映画で偲ばれる役柄。


彼の読書欲、読書への情熱、そういうものをぼーっと見過ごして、
本らしい本も読まずに来たけれど、
きっちりかっちりした本に向かい合う熱意や情熱、知的好奇心のみならず、
知的な体力能力(脳力)が、散逸している今となっては、
図書館は敷居の高い場所ではある。


それにしても、本が自由に読めない、
検閲が入る社会、それは一体どういうモノなのだろう。
図書館の本を検閲し、間引き、思想統制を計ろうとする世界。
自由を守ろうと、武力でもって本を読む自由を守ろうとする世界。


そこにも恋愛や友情が渦巻いていて、上下関係、出世欲、嫉妬や干渉、
危惧を抱きながらもささやかに前進。
或いは命を投げ出して、一歩も引かぬ不退転の決意と行動。
そんな世界を垣間見て、あっという間に過ぎていく時間。


読書メーターにはまるのは、目に見えない緩やかな繋がり、
誰かがどこかでこの本を読んでいるという楽しさかな。
図書部の読書会、3月ウサギのお茶会にも等しいあの青春の日々、
背伸びして読んだ本の数々。


図書館戦争のシリーズが描き出す荒唐無稽な近未来社会、
そこに見出すのは本が好きで好きでたまらなかった頃の自分、
誰かに認めて貰いたくて、知って貰いたくて、頑張った、
未来を描こうと悪戦苦闘していた、その頃を思い出すから。
思い出した分優しい気持ちになるというよりも、
思い出した分、この今でも切ない気持ちはどうすればいいのか。


様々なモノに心を映しては、引きずりやすい体質、気性の私。
映画だろうが、アニメだろうが、マンガだろうが、
同じものを作ろうと苦楽を共にする仲間があってこそ、
南保の世界で、劇中劇にはまって行く読者の私たち。


ラノベばかり読んでないで、娘よ、もう少し、
もうちょっと長くて難しい本、原作の方を読まないか?


映画 図書館戦争 オリジナル・サウンドトラック

映画 図書館戦争 オリジナル・サウンドトラック