Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

距離を置いてこなす

どうも何ともこなすだけで終わる。
周囲の人の顔と名前がなかなか一致しないまま、まる二ヶ月が経とうとしている。
どの部屋に誰が居るんだか、いまだによく分からないまま。
空き時間をかろうじて見つけて、抜け出すランチ。
前の職場で仲の良かった友人とよく行ったランチ。
教えて貰った時には、こんな場所にこんな贅沢な?と思ったけれど、
一人で出向くと、とても味気ない。


一緒に食べたり、喋ったりする人がいないと、
ランチも場所も色褪せて見える。
そんなことを実感して、終わる皐月。
TVを見る元気も無く、最近話題の朝ドラのオープニングのうるさい音楽、
何だか朝からせわしい気持ちにさせる音楽に苛立ちながら、出勤する朝。


そう、朝と昼と夜が頭の中でごちゃごちゃになる。
胡蝶の夢のよう。
夢の中で腸だったのか人間だったのか。
朝なのか昼なのかよく分からなくなる。
廊下を歩いていても、どうして見慣れた前の職場の景色が、
目の中に飛びこんでこないのか、不思議な気持ちになる。
違和感、違和感の連続は、いつ消えるのだろう。


大人だからこなすけれど、ルーティンワークに慣れた人間には、
ほんの少し体の角度、見える景色、使いなれば文具、
聞き慣れた声、見慣れた顔がなければ不安材料。
不協和音の連続のような、違和感が重なる。
それは新しい人間を迎え入れた側も々なのだろうか。
といっても、ごく一部変わるのと、
全面的に周囲全体が変わってしまうのと、
意味合いが異なるとは思うのだが。


そう、ブログを書きづらいのは、面と向かって毎日の気持ちを、
そのままぶつけてしまうとマズイのではないか、
というブレーキと、描く気力も起きないくらい疲れているということ、
遅ればせながらの日記ならば、追憶の彼方から蘇る、
ごく一部の上澄みだけを掬って残しておける。


日数を置いておくのは、クッションが必要だから。
文字にして読んでも、何とか大丈夫だと思えるような、
そんな時間の経過が必要だから。
楽しいこと、当たり障りのないことを思い出せるように、
そんなふうに距離が取れるまで。
距離を置いてこなす。


上澄みをすくい取るように? 
それとも濁った底を見つめられるように?

 
風-Winds~ナウシカの思い出に捧げる

風-Winds~ナウシカの思い出に捧げる