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歯医者の思い出

世間では桜桃忌と聞いて、ああ、と思う人もいるだろうが、
オウトウキって何だと漢字変換できない人の方が多数だろう。


新聞の片隅を賑わす、季語のようになってしまった桜桃忌だが、
桜も桃も、どちらも季節には関係ない。
ユスラウメと言っても知らない人が多いかも。
いや、少子化の昨今、シニア世代が多い昨今、
世の中全体から見れば知っている人の方が多いのか。
でも、ユスラウメを口にしたのは半世紀近く前だ。


歯を矯正していた小学生の頃、毎日のように歯医者に通わねばならぬ、
今とは比べものにならない貧弱な矯正技術、
さらに、歯の抜け替わりの時期、歯医者とは切りたくて仕方のない縁を、
切ることができないまま続く通院にうんざりしていた頃。
ちょっとした楽しみは、歯医者の前に生えていた山桜桃の樹が実をつけ、
いかにも涼しげに、それでいて、小さな赤い実を揺らし、
誇らしげにたわわに実った小枝を精一杯のばしている、
そんな景色を眺め、一粒二粒口にするることができた日だった。


今でもその歯医者は息子が継いで開院しているということだが、
仙台である世話になった医師は存命なのだろうか。
親と同世代であるから、どうであろうか。
耳が悪く、声が大きく、真っ白い大きな白いマスクの中から
くぐもった怒鳴り声が聞こえてくるので、子供心に閉口した。


医者のくせにその頃で回り始めた珍しいもの、
町で売り出したドーナッツを山ほど買ってきていて、
診察後にくれたりしたものだったが、さすがに、
歯医者で見て貰った後に、すぐに甘いものを食べるのはどうかと、
その扱いに困ったのをいまだに覚えている。


歯並びが悪く、一本一本の歯が大きく、
矯正しきれないからと歯並びのために、八重歯を抜かれた。
大人になってから後に聞くと、八重歯、もとい糸切り歯は
後から生えてくる歯のためのガイド、指針になる歯だから、
余りむやみに抜かない方がいいのだがと言われて愕然とした。
何のための矯正だったのか、わからない。


もっとも、その当時モデルになるため、
顎を細く見せるために奥歯は抜くのが当たり前? 
だった時代らしいので、そういう乱暴な美容矯正があるのなら
一般の矯正も歯並びを直すのに面倒な歯の一本や二本、
さっくりと抜いたのかもしれない。
それがその当時の治療の常識だったのかもしれないが。


私の場合、抜くのは嫌だと泣いて抵抗したので、
右の八重歯は抜かれたが、左の八重歯は残っている。
八重歯というと聞こえはよいが、牙が1本だけ残っている間抜け面だ。
鬼になり損なった上に、人間にも化けきれないままで半世紀、
まっとうな道を歩いてきたのかどうだか分からない。
でも、自分から人間失格だとこの夜からグッドバイしたものよりも、
至極真っ当だろうなどと思ってみる。


桜桃忌の文字を紙面の字面で追っているうちに、
昔の歯医者のことを思い出してしまった。
いまだに歯のことでは苦労させられる。
というか、8020運動には貢献できそうにない気もする。

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