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風立ちぬ

レディスデー『風立ちぬ』鑑賞。
宮崎駿引退のニュース後のせいか、21時からの上映なれどぎっしりのシネコン
観るのを躊躇していた設定だったが、やはり観て良かったと納得。
しかし、子供には難しい内容だと改めて実感。
娘が観たがらなかったのは当然か。
大人のための宮崎アニメ作品で幕引きするのか。(2013 9/7)


かの名作を読んだことがあるかと尋ねられたら、自信を持ってハイとは言えない。
緩慢とした「死」を潜ませ、折り込み、息苦しくなるような景色が
頁をめくるそこかしこから見え隠れして、疲れ、倦み、苛立ち、
心落ち着けて物語の世界を堪能することなど叶わなかった。
文学史の授業で知った、それよりも前にどこかで聞きかじっていた
「肺病たかり」の世界に属するものを、避けたいという気持ちがなかったわけではない。


子どもの頃、「作家」という仕事、文筆業に憧れた頃、
幼少期、それよりも少し大きい学童期、
若草物語』のジョーや『赤毛のアン』に憧れた中学年、
親からの文学者一般の評は「肺病たかり」というろくでもない表現で一括り。
浮いた夢を見させることはさせぬという、脅しにも似たキツイ表現だったのだろうが、
それは子どもの私に明治大正昭和期の恐ろしく古い偏見を植え付けてしまった。
芸術家、特に文筆業に携わるものは「結核」に感染に感染している、
もしくは罹患、入院経験があると。


高校3年に思い入れ激しく読んだ『草の花』でさえも、主人公はサナトリウム
結核の手術に失敗して死んでゆく。
何だか高騰遊民のみならず、美男美女、ヒロインとおぼしき人々は皆、
貧乏で栄養不足で肺結核に罹り死んでいく、
そんなイメージだけが残って、成人し、うん十年。

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

草の花 (新潮文庫)

草の花 (新潮文庫)


宮崎駿が無類の空が好き、飛行機好き、という事実は
ナウシカ』『ラピュタ』『紅の豚』『ハウルの動く城』など一連の作品から、
嫌と言うほどわかっていても、まさかその一連の「飛ぶこと」と、
恋愛小説を組み合わせて、失われた古き良き日本の男女の心と物作り精神を合体、
アニメ化しようとは思わなかった。


日本がどのように血の滲むような技術革新に取り組んだとしても、
背景にあるのは死者累々と限りなく積まれた戦争の歴史を抜きに語ることはできない。
しかし、そういう部分はできるだけカットされて、技術者としての葛藤、
恋人を死病で失っていく喪失感、自分の夢と愛情が時代の波に押し流され、
何ものも生み出さなかったのではないか、という虚無感や絶望感で一杯になる、
その瞬間に垣間見る、本能から絞り出すような生き抜く事への渇望、
そういうものが感じられはする、感じることはできるのだが…。


やはり懐古趣味で、古い世代に属するアニメ、世界だと思ってしまう。
今の言葉ではなく、かつて使われた古語を用いて、
風立ちぬ」なのだから。そして、次の言葉は隠されている。
公に用いられてはいない。
「今、生きめやも」
どう生きていけばいいというのだろうか?
この映画を観るだろう世代の中では、年寄りの部類に入る私でさえも、
このアニメから受け止めるのは感動ではなく、虚しさが大きい。
それは自分の人生を振り返って、仕事を振り返って。
生み出してきたはずのものが、実際はどのようになっていったかを考えると。


そして、この職場で本当に定年までやっていけるのか、
迷いが多い所か、実際その後、悲惨であったことを思うと。
途中で病に倒れて儚くなってしまった方が、どれほどマシだったかとさえ思ってしまう。
好きだったのは、結婚式の仲人が述べる口上のシーンのみ。
あそこだけが、何故かとてもリアルに感じられたのは何故か。
現世の手続きにのっとった、形を感じる部分だけがアニメの中で、
もっともらしい「存在の確かさ」を感じさせてくれた。