Festina Lente2

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「風立ちぬ」を見た一日

上掛け無しに寝るのは寒いと感じる朝。秋は来にけり。
震災特集の九月初め、老父法事を終え、故郷宮城から帰宅。
代替わりした親戚の間で、あれこれ心許ない想いをしたそう。
長生きをすればそれなりにしんどいこともあるのだなあと、
シニア世代に差し掛かりつつある私も思うこと多々。
今日も一日ガンバロウ。


レディスデー。引退を表明した宮崎駿監督のためにも、
戦争ものだから、家族が誰も一緒に見に行ってくれないからと
子供じみた理由でなく、映画館できちんと見ておこうと思った。
21時からの最終上映にもかかわらず、結構満員、観客の年齢層は高い。
日本の歴史的な背景、きちんと知っていないと難しいとは思うけれど、
まあ、何の予備知識なくて見てもそれなりに思うところ、
得られるところはあるかもしれない。


ただし、戦前の日本の状況、どういうものだか知っておいて見るべきだとは思った。
これは単純なファンタジーではなく、
そのような時代に生きざるを得なかった人々の物語。
アニメなので、悪人は出てこないというか、
全体的に人物造形は浅いのだけれど、時代背景は重い。
そういうことを抜きにして、単純に登場人物を見てしまうと、
モノづくりバカの仕事と恋愛、それだけで片づけられてしまいそうな、
そんな気がしてならない。
ほとんどの人間が、ゼロ戦がどういうものだか、(カプローニは知らなくても)
日本はどんな運命をたどったのか知っていて見てこそ、意味がある。


上流階級の集う軽井沢と思しき場所での再会、
ドイツ人をして「魔の山」と言わしめた場所。
戦争の憂いを、不治の病の恐怖を、仕事での失敗を、
亡命の危機を一瞬忘れさせてくれる場所。
魔の山」と聞くと、トーマス・マンを連想する人間が、
どれくらいこの映画を見ているだろうか。


挿入されたドイツ語の歌を聞いて、メロディに聞き覚えがあったとしても、
それが、「会議は踊る」の音楽だと分かる人がどれくらい。
切ない歌詞だと分かる人がどれくらい?
主人公たちの恋に寄せて、人生のただ一度の華やぎに寄せて、
その場で歌う世界、その場に集う人々が高等教育を受けて、
ドイツ語を介する人々が秘書を楽しむ姿。


平民ゆえに、庶民のあこがれる世界が展開されるのを皮肉な思いで眺めてしまった。
当時のインテリ階級は、日本が負けると分かっていて戦争をした。
日本が置かれている状況を分かっていて。
軍部が突っ走り、国際社会から孤立し、戦争に突入していったことに、
一般庶民はいやおうなく巻き込まれていった。


ドイツ語を勉強した、英語がわかる、海外の状況に明るかった、
避暑地で楽しむことができた、そんな人々は、
高貴なる?家柄に生まれた故の責務をどのように果たしていったのか。
不治の病を背景とする日本文学と文士の一時代を思うにつけ、
ハンス・カストルプの名前が出てくる作品を挿入し、青春のはかなさを歌わせた、
このアニメが子供向けであるはずがない。


「若き日に訪れる夢のような幸運の一回性」
しかし、これだけでは人は生きていけない。現実のところ。


映画の中で心ひかれたのは、夢の世界で理想を求めた主人公が、
あこがれの人と会話する部分。
そして、結婚式の場面。仲人の口上が心打たれた。
「自分の一番美しいとき」をどのように愛する人に見てもらいたいのか。
しばしでも「恋人」ではなく「夫婦」の時を過ごしたいのか。
女性としての気持ち、ありようには感情移入できた。


現実の生活からは浮世離れした設定であったとしても、
それは、アニメだから仕方がないとわりきれる。
共に暮らすことは戦いにも似た殺伐なものがあることを、
この作品の前面に求めることはできない。
すでに主人公は翼をもがれた状態の中で、翼を求めて戦っている、
そういう仕事をしているという設定だからだ。


見ていた時間の長さに比べて、終わったときはあっけなかった。
人生の幕引きはこうはならない。
現実には、こんな風に自分の人生を終わらせることができない。
漫画は、アニメは便利だなあと思う。
打ち切ろうとする部分で、その先を見せることなく終わらせることができる。
観客である自分たちが、その己の現実の世界に帰っていかざるを得ない、
日常の中に、失われた青春の残り火のような世界に、抗えない毎日に、
戻っていかなければならないのをいやおうなく意識させる、鑑賞後の時間。


だからこそ、『風立ちぬ』からもらうメッセージは苦く切ない。
「いざ、いきめやも」その重さを、もうわかっているからこそ苦しい、
まだ知らない若者とは違うからこそ苦しい、そんな世代に向けて作られた映画。
風立ちぬ



「ただ一度だけ」(Das gibt's nur einmal )の夢幻

 ただ一度だけ
 もう二度と来ない
 ただの夢かもしれない。
 人生にただ一度
 明日にはもう消え去っているかも。
 人生にただ一度
 だって花の盛りはただ一度だけ。
 (Das gibt's nur einmal,
 Das kommt nicht wieder,
 Das ist vielleicht nur Träumerei.
 Das kann das Leben nur einmal geben,
 Vielleicht ist's morgen schon vorbei.
 Das kann das Leben nur einmal geben,
 Denn jeder Frühling hat nur einen Mai.)

 戦前のドイツ・ミュージカル映画『会議は踊る(Der Kongreß tanzt)』
(1931年制作、日本公開は1934年)

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