Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

皇室の名品展

近代日本美術の粋、これを見ずして何と言おう。
自分一人で見るのも好きだが、やはり感想や反応を家族と分かちたい。
ハードスケジュールで申し訳ないが、再び風邪の娘を家に残し、
(風邪もあるが、自由に過ごしていたいというのも娘の本音なのだろう)
今日はドライブではなく電車で片道2時間半掛けて京都に向かう。
何故かしら、三条京阪の駅ではこのようなお出迎え。



スルッと関西様々で巡るのは、京都国立近代美術館
向かいの市立美術館はお馴染みの場所だが、近代美術館もお馴染み。
何が嬉しいって、ここは休憩する館内喫茶室がある。
市立美術館と異なり、ミュージアムショップもある。
京都は来るだけで疲れる年齢になったので、鑑賞前にまず一服。


  

  


皇室が守って来た日本画・洋画・彫刻・工芸が一堂に集う展示会。
なかなか有名どころを安易に見ることは出来ないが、
皇室の方々はお住まいで普段からこのような者に接して、
日常生活を営んでいるのだろうか? 
それとも季節毎に保管している所から運び出して、
折々の風情を楽しむために飾るのだろうか。


  

  


著名な芸術家は競って献上したのか、それともお声が掛かって、
有り難く拝し奉って制作したものなのか。
そんじょそこらの平民、成金に売り渡すのではなく、
最初から皇室のために作るとなると、気合いも違うのだろう。
注文制作が当たり前だった芸術品の数々、
生活のために粗製濫造しなくとも、自尊心と誇り誉れのために、
真心込めて創造の極致を極めることが出来るというのは、
芸術家にとって試練と至福の時だったのか。


  

  


これが人間の手の作り出したものなのか、描いたものなのか。
才能のある人々が、持てる技術を振り絞った数々の美術工芸品。
無芸大食に等しい、無から有を作ることの出来ぬ、
傍観者に等しい鑑賞者の自分としては、
少々卑屈にならざるをえないほどの豪華絢爛な品々。
家人とのんびり眺めながらも、圧迫感を感じざるをえないのは、
何故だろうと訝しく思いながらも、念願の展覧会ゆえ鑑賞。


  


年を取れば取るほど、自分のありのままを受け容れやすくなる部分と、
自分とは全く別世界のありようとの差異に悲しくなる部分と、
明暗がはっきりしてくるような気がしてならない。
自分の世界は自分の世界と割り切れればいいのだが、
美しいもの綺麗なもの、儚くも素晴らしいもの、様々なものに触れ、
見聞きするにつれ、自分には無いものばかり追っているのだと思い知らされ。
遠く雪を被る比叡の山に、やや切なく思う年の暮れ、クリスマス前。

明治宮殿のさんざめき (文春文庫)

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