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生誕100年!植田正治のつくりかた

納期に間に合わせて仕事すれば、
体調を崩して風邪が治らないという、
社会人にあるまじき軟弱さで年末突入。
ほぼ徹夜のような、そんな朝。
いつまで経っても年賀状作業が終わらない。
このところ、毎年こんな感じ。
クリスマスまでに出来上がったためしがない。
年賀状の宛名書きのみ完成、肝心の中味は年明けになりそう。
それに、毎年届く喪中の葉書が年々増え…。
住所録代わりの年賀状は唯一の近況報告だったりする。
それが、何とも侘しい限りで。


昼前、どうにかこうにか片づけて、
結局散らかしっぱなしに等しいまま、
予定に合わせて無理やり上京する。
この時期のこの時間帯、昼間は余裕で座れる新幹線。
弁当ランチ、関が原は雪と雨、名古屋を過ぎてうとうと。
4ヶ月ぶりに関東入り。
単身赴任家族のささやかな合流、家族団欒。
仕事納めの家人と待ち合わせて、東京駅。
娘もお気に入りの場所、いつものステーションギャラリー。


「生誕100年! 植田正治のつくりかた」展。
UEDA SHOJI 100th anniversaryだそうな。
植田正治ってご存知?
私は全然知らなかった。
あんまり写真家って知らない。
画家ならばともかく、写真家を意識することは殆ど無い。
ロバート・キャパマン・レイを思い浮かべることはあっても。
作品を見ると、どこかで見たことあるような気がしないでもない。
でも、取り立てて、別に。
見て、鑑賞して、なるほどと思うくらい。


後から調べて、「まさにい」こと福山雅治の写真のお師匠さんだと知り、
へええ、あの芸能人が師事した? とちょっとぴっくりした。
そのくらい。
けれども、一端展覧会を見ると、それなりに見入ってしまう。
それほど、展覧会の場所が魅力的だということも一理あるのだけれど、
仕事から解放されて、地元からも離れて、
関東入りした初日、家人との待ち合わせの場所だから、
という意味合いも、結構大きいのかも。


写真のモノクロの世界が、東京ステーションギャラリー
赤レンガの壁と相まって独特の雰囲気を醸し出していた。
写真で観るダリやポール・デルボーの感さえあり、
懐かしくしみじみと見入る。
共に鑑賞したデジカメ世代の娘はフィルムカメラやモノクロに
郷愁を感じることはあるのだろうか。


いや、しかし、どこかで見たことのあるこのタッチ。
いや、絵描きじゃないんだからタッチは可笑しい。
そうだ、いっとき好きで読んでいた哲学者の本だ。
あの本だ、間違いない。


「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

  


この写真家が取る景色の中の家族に、妙に郷愁を感じるのは、
背景の砂丘の砂に、埋め立てられて失った幼少期の遊び場、
海岸の砂浜を思い出すからかも。
思い出は、白黒写真の砂の中に埋もれて、
それこそ「昭和」の断片のよう。
ふと気付けば、昭和で生きてきた年月が、
自分の年齢の中で占める割合から減っていく、
そういう瀬戸際なんだとしみじみ。



家人と昔懐かしい家人の同僚と、4人で囲む、
外食の夕餉は、何故か八重洲口での味噌煮込みうどん。
私達より早く結婚し、子供に恵まれず、転勤族で、
思えば20年近いお付き合いになるのに・・・。
笑顔のまま、右と左に分かれて年末。
彼の暮らす部屋は10年前私達が暮らした社宅。
これもご縁で。


まなざしの記憶―だれかの傍らで

まなざしの記憶―だれかの傍らで


1日が上田正治の写真のように、人生を感じさせる。
そんな写真の断片にも似て。


植田正治のつくりかた

植田正治のつくりかた

  
八雲立つ出雲 植田正治、上田正昭が歩いた神々のふるさと

八雲立つ出雲 植田正治、上田正昭が歩いた神々のふるさと