Festina Lente2

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日本郵船氷川丸

(写真は全て大きくなります)

歴史上の船の名前としか記憶していない氷川丸
家族全員で乗り込んで、夕方を船旅ならぬ歴史の度へ。
飛行機で郵便が運べなかった時代、船旅・船便はさぞかし貴重だったことだろう。
その頃の歴史を垣間見ながら、横浜の夕景を楽しむひととき。


  


  


  


  


年の瀬とて、もはや新年を迎える準備整う船内。
来年の干支、お供え物、飾り付けが。
たった一席生き残った氷川丸、戦前戦後活躍した逞しい船。
日本郵船のその他の船はどうなったかというと


  


  


  


  


豪華客船の旅・・・。日本ではなく地中海での僅か三日間の経験だけだが、
船旅の豪華さがどれほどのものか、多少は想像が付くつもり。
けれども、当時を偲ばせる一等客室の様子や食堂などは、
時代を遡って考えてもさすがと思われる調度、しつらえ。
子供用の部屋の木馬、何故か懐かしく心ときめき、
そこここに描かれた挿絵は「コドモノクニ」を船の中に描いたよう。


  


  


  


  

私の友人の父上は、一昨年鬼籍に入られたのだが、
この氷川丸の子供部屋の記憶を持つ方だった。
アメリカで仕事をする父親の元に行くために、
母親とお付きの人と共に子供の頃渡航したのだとか。
その話を友人から聞いたのは、氷川丸を見学してだいぶ後だが、
彼女は今、嫁いで横浜市内に住んでいる。


  


  


  


  


当時のメニュー、どんな味だったのだろう。
船旅にはそれこそ人脈を深める社交と心和ませる食事が不可欠。
密度の濃いお付き合いで過ぎていくようなものだ。
今のリゾート豪華客船のように、様々な設備が
あれもこれも揃っていたわけではないだろうが、
私の眼から見れば、夢のお城が海を渡っていくような、
そんな華やかなイメージ。

  


  


  


  


そう、動く近代建築。生きている内部装飾、インテリア。
贅を尽くした空間が、船の形の博物館になって浮かんでる、
そんな不思議な空間、日本郵船氷川丸
船長室や、その他の部屋を巡りながら、
暮れゆく港町の景色を堪能する年の暮れ。


  


  


  


  


運んだのは人や物ばかりではなく、日本が時代を超えていくための
エネルギーそのものを載せて往復していた氷川丸
戦争と敗戦、フルブライト留学生の話、
かーちゃんにとっても本の中でしか知らない歴史の断片を、
娘はどんな気持ちで眺め、読み、考えているのだろう。


  


  


  


  


自分が物語の主人公になったような気分で、覗く小部屋。
その向こうに、どんな気持ちで外国(とつくに)に渡っていったのか、
今とは比べもののにならないほどの、大きな夢と期待が、
香気を漂わせているような、そんな思いに駆られてしまう。
くすんだ色合いの向こうに、何かが待っているような気がして。

  


  


  


  


そして、豪華な船旅を支えていた地下の世界、船底の機関室。
屋上とも言うべき操舵室、船長室。
そこからの眺めは、また別格で。
飛行機が空を飛ぶのがいまだに信じられないのと同様、
鉄の塊が浮いている不思議を感じつつ、周囲を眺め渡す。


  


  


  


  


夜の闇が優しく船を包む頃、最後の客として甲板に出て、
陸地に降りる私達家族3人。
赤煉瓦の倉庫まで、ゆっくり歩きながら横浜三塔の夜景を楽しむ。
臨時のアイススケート場は賑わい、土産物屋と軽食堂に変身した倉庫は
若い人の熱気で溢れかえっている。


  


  


  


  


横浜で過ごす昼と夜。
濃密な一日、世界に開かれた土地の歴史を、
異国の町並みを備えた町を歩き、
今は海を渡ることのない船に乗り込み、
現役の港町をそぞろ歩いた、2013年の年の瀬。


  


  

氷川丸とその時代

氷川丸とその時代

 
関東点描。: 鎌倉・日光・横浜の今むかし

関東点描。: 鎌倉・日光・横浜の今むかし