Festina Lente2

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マリー・アントワネット

昨日、職免で検診の午前中。思いがけない時間が出来る。
痛いけれどやっぱり必要だと思う、検診。
帰り際最後に、何か一言あれば「ふう」とため息一つついて
ほっとできるのだろうけれど、自分で自分に軽く「お疲れ」を言う。
さて、気分一新、自分にご褒美。


駅前まで戻ると、濃紺の小型ボンネットバスが。
何でも15分程度で、ちょっとした温泉(流行の郊外型大浴場)まで
無料送迎してくれるのだとか。思わず心がときめいた。
でも、タオルや着替えが無いからね、理性で思いとどまったけれど。
一瞬、大きな湯船につかってくつろいでいる自分を思い浮かべたもの。
年配の運転手さんから、パンフレットだけ頂いた。


さて、ここの駅前ビルにはシネコンが入っている。
映画を選んでいる時間は無いのですぐ次に見られるものを買う。
上映までに、チケットを見せると割引の利くランチを食す。
見せることを意識した厨房内、5人のうち4人までが女性。
残念ながら味は今一つのパスタランチ。ただし調味料入れは、
上1/3が塩、下2/3が黒胡椒入れで好きなだけ削って出せる。
これは、優れもの、気に入った。


                   
映画は「マリー・アントワネット」主役はキルスティン・ダンスト
残念ながら、彼女はそれほど好きではないのだけれど。
私は週刊マーガレットに連載されていた、かの有名な
池田理代子の「ベルサイユのばら」を思春期に、
リアルタイムで読んでいた世代なので、フランス革命には妙に詳しい。


それでなくとも世界史大好きで少女だったので、
(残念ながら宝塚には興味なし)
歴史的な背景は頭の中に叩き込まれている。
そういう点から見ると、シェーン・ブルンを去る所から始まり、
ベルサイユを離れる場面で終わるこの作品は、
既に革命シーンが抜け落ちているので、
「ベルばら」よりも面白くない。

大人のぬりえ ベルサイユのばら ビギナー編

大人のぬりえ ベルサイユのばら ビギナー編


ただ、心理学の投影を勉強する上では構成が単純でわかりやすいので
導入に使うのには適しているかもしれない。
ビジュアル面でもBGMでも、あからさまな象徴・投影を用いて
画面構成された動くコラージュみたいな作品だ。

ベルサイユのばら(5冊セット)

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ベルサイユのばら その謎と真実 単行本

ベルサイユのばら その謎と真実 単行本




母の手から離れ旅立つ少女。体内めぐりにも似てお引渡しの儀式で
オーストリア皇女からフランス王太子妃として、生まれ変わる場面。
自分が望んだわけではないものに、周囲から強制的に決められる未来。
白塗り化粧の人々から見つめられる中、進む儀式。
運命を暗示する不吉な結婚のサインの染み。


14歳で嫁ぎ、18歳で王妃となるまでに
値踏みされ、衆人環視のばかげた儀式に人間性を無視され、
形の上だけ奉られて、実質的に重んじられることの無い生活。
精神的に成長を促されるよりも、無知である事を強いられるような生活。
夫に省みられず孤閨を託(かこ)つ日々、(これは彼女のせいではないが)
世継ぎを生むことのできない非難の目に晒された、不毛の7年間。


何だか少しばかり、どこかの国の誰かの話に似ているなあ。
Ridiculous! と呟かざるを得ない生活、孤独な日々、
虚ろな心を覆い隠すべく、仮面・賭博・浪費・夜会・演劇・密会
繰り広げられる様々な景色の彩りと音楽の、ハーモニーが絶妙。
はじけている気持ち・感覚を表すはじけた音楽は、
ロココの風景とミスマッチなのだが、それが面白かった。

ベルサイユのばらの街歩き 単行本

ベルサイユのばらの街歩き 単行本


歴史を知るのではなく、アントワネットから見た世界、
その感性をなぞる形で表現されているから、
映画が、ちょっとした分析の教科書的画像だ。
深読みしようと思えば出来るし、紋切り型と言えばそれまで、
いかようにも切り口は持てるけれども、感動するタイプの映画で無い。
少なくとも、深い感動を得られる映画ではなかった、私にとっては。

マリー・アントワネット オリジナル・サウンドトラック

マリー・アントワネット オリジナル・サウンドトラック


ただ、何だろう。「ベルばら」を読んでいた時には子供だったから、
女性の内面の成長をいうものよりも、
男装の麗人オスカルという架空の人物が
女性として目覚めていく姿に自分を同一化させていた。
しかし今回は、満たされない思いと孤独が時代の流れと相まって
一人の女性の運命を社会そのものの運命に重ね合わせて、
無意識なる破滅・死への願望に導いていく過程が
無邪気なまでに描かれていて、切なかった。


かわいそう? そういう言葉で表していいのかどうか。
偉大な母親マリア・テレジアの庇護を離れ、異国の宮廷で未成熟なまま
散らされた女性性のタナトスが、その後の革命の血の粛清劇
ロベスピエールサン・ジュストの攻撃的なタナトスを引き寄せ
一気に社会を巻き込んでいく。


市民革命という歴史的な化学反応を引き起こすために、
時代が用意した一つの素材。そういう意味で、
マリー・アントワネット」は、絶対王政の終焉を飾る美しい仇花。
そういう回想に浸らせてくれた、いっときの映画。
いつのまにか、少女漫画の世界を離れて哀しい思いで
画面を見つめる年齢になっていた自分。


そう、感動は無かった。
だが、色々な想いを巡らせるには、
「投影」を見出すには、十分な構成と画面を持つ映画だった。

マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡

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王妃マリー・アントワネット (「知の再発見」双書)

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