Festina Lente2

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転勤余波

チャングムナイトに心が揺れる。
だってね、次から次へと難問山積。
ドラマとしたら面白いけれど、実生活や仕事だったら困る。
3月4月、転勤というクラッシャーに振り回される。
個人、だけの問題ではなく組織そのものが抱えている矛盾。
波風を立てることが組織の活性化に繋がるのかどうか、
何をもってして波風というのか。
組織は生き物、刺激に対しては反応、バランスが必要。
なのに、単なるストレッサーとストレスだけでは・・・。


本日のチャングム。権力欲に駆られるチェ一族の野望に
チェゴサングンやハンサングンと共に嵐の真っ只中。
そう、組織社会では新人採用や定期的な人事異動以外に、
管理職人事なるものがある。これがまた厄介で。

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論


この3月から公私共々疲弊し切っている、原因の一つ。
管理職人事の余波。仕事は専門知識を有するとはいえ、
最終的には純然たるサービス業の内容、人様相手。
故に、「良かれと思う方向」に持っていかなければならない、
のであって、現状維持では苦しいのだ。


様々な目的別のチームを組み、そのバランスでもって仕事をする。
ある程度まで風通しが良くないと、非常にややこしい。
大中小、それぞれが属す部屋、分掌、課、役割分担、
目的の為にどのような形で連携を取るか、
チームを機能化させるのは難しい。


転勤してきたばかりの人間が、自分の居場所を作り上げることが
非常に困難で時間が掛かるのと同様に、
組織そのものの凝集性を高め、協力体制を作る為には、
お互いの努力の上での意思疎通を必要とする。
単なる上意下達や、安易なボトムアップでは、持ちはしない。


室長が嘆く。人員の半数以上が入れ替わったと。
残っている人間も従来の役割分担を継続することができず、
不本意な組み直しとなる。どえらい負担増。
大中小、様々なチームを色んなプロジェクトに無理矢理参加させ、
いかに自分の手腕でそれが執り行われたか、アピールする人から
栄転となる。そう、その後がどうなろうと知ったこっちゃない。
そんな形で出て行く人が多い、この職場。


チャングムのドラマが、いつになく心に重かった今日。
「料理を何かの手段にしてはいけない」
権力志向の強い一族に対する牽制は、思わぬ波紋を呼ぶ。
どこの職場でも同じことだ。
ましてや、サービスする相手への能力や将来、心理的な部分に
直接関わるとあれば、本質論から外れることは
サービス内容の低下を招くばかりではなく、
職場内の不信や徒労感、モチベーションに関わる。


今までの職場では感じることの無かった、ここでの3年間の疲労感。
10年前に結婚、出産を決意した時から世間的な路線から外れ、
役職・権力・出世とは一線を画して来た自分。
そのことに悔いは無いが、自分が男だったらそうしただろうか?
女だから敢えてそうせざるを得ない所に、
巧妙に追い込まれたのではなかったのか?
自分で決断したと、思いこまされていたのではなかったのか?
そんな思いがよぎる。


協力を求められ、専門知識を生かし、組織をまとめ、
チームを作り、若手を育て、研修を行い、・・・
この年にもなれば、「できません、やれません」はご法度。
そんな中で協調して協力して達成感を得られるならば、まだいい。
権力欲・出世欲の道具として、コマとして、
片棒を担がされるような、損な役回りとして、
血を吐くような思いで仕事を続けざるを得ない。
そんな形で放り出される苦痛が、何と多い職場なのか。


技術は追いついていくが、理念や理想、精神や姿勢は
一朝一夕では育てられない。
共に学び育つことが要求されるのだということが、
何故か、わからない人がいる。
ようやく磨き上げた人材を、潰すような形の人事異動や
配置転換が、無造作に行われるこの職場の中で、
周囲を支えることの虚しさが、身にしむ年度末。


切り替えして、仕切り直して、自分を叱咤激励しても
自分の感覚を麻痺させなければ、新年度の仕事に取り組めない。
その情けなさに泣きたくても泣けない毎日。
味覚を失ったチャングムの治療に腐心するハンサングン。
そんな上司はこの職場にはいない。
「あなたらしくない、諦めては駄目」という言葉を
お互いに言い合える、・・・
そんな仲間を見出し創り上げることに、疲れている。


権力の上澄みを甘露として追い求め、受け取るか、
より良い組織のあり方、サービスのあり方として
還元していくか、役職が自分自身の実力と思い込み、
人を顎で使おうとするかはその人次第だが、
クラッシャーは個人だけではなく、
組織の在り様そのものだということが
骨身に沁みる今の職場での年度末、新年度なのだ。


若い頃には感じることの無かった、やりきれなさが
自分を無闇に追い詰める。
この時期、感じたり知ったりすることが前進に繋がらず、
後退を呼ぶことに、恥を感じ、忸怩たる思いにまみれる。
1年で人を育てることはできない。
組織も人も、生き物だから。
託される、任される、懇願される、慰留される、言葉の綾。
残される、押し付けられる、処理を迫られる、結局。


内外にあるクラッシャーと戦うために、
どれだけの気力・体力が残っているのか、
自分の為に、家族の為にも残せているのか、
天秤に掛けながら、胃の痛みに耐える。
不眠と付き合う。気分転換に娘と出かける。


必要以上の研修はお休み。心を切り替える為には、
職場と距離を置くことが必要だから。
休みが取れる時には休む。
去年のように壊れるまでは、働かない。
チェゴサングンも言っていた。
気力・体力が充実していないと、料理はできない。
同じ。全く同じです。


場を守り、場を育て、人の心と能力を磨く、
経験と規律、発見と表現、枠組みを変える事、
相手を尊重し理解すること、
そんな理想を忘れては、この仕事はできない。
管理一辺倒に走ってしまっては。
支配することに走ってしまっては・・・。


私は、諦めたくはないのだ。

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