Festina Lente2

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敢えて閉じて壁になる

1枚目と2枚目の差は何か? 色? 筆圧? 形? 構成?
描いた絵ではなく表情を見る。色彩心理学の知識も、
象徴から見る分析も、ラポールがあるのかどうか、
始まりなのか終わりなのかで違ってくる。
練習だから、という。これは危険な練習。
練習だからとしても、踏まれた地雷を処理するのは大変。
だから、敢えて閉じて壁になる。


何故、壁が必要か。何故、閉じようとするのか。
無機質な「作用」の有無で、図れないところにうごめく情念を、
なだめておくのに一苦労だから。


機能しているか機能していないか、検証力を高めるため、
それ以前にどこが問題点か見つける、考える、感じる。
「不一致」がどこで生まれるか、感覚の齟齬はどこで拡大されるか、
感情は何に揺さぶられるか、論理的帰結は何に妨害されているか。
そういうものに、たぶらかされるものかという、暗い情念を
飼いならすのに一苦労だから。


自分が投影するもの、投影に見出すもの。
どうにかしようではなく、どうにかされてしまうことへの反発。
どうにかしようではなく、どうにかされてきたことへの反発。
どうにかしようではなく、どうにもされたくないことへの反発。


自分が変わらなくては、やっていけないことへの怒り。
ありのままの自分では、やっていけないことへの怒り。
変わりたくないのに、変わらざるを得ない状況への怒り。
何故、自分が変わらなくてはいけないのか、
納得しきれていない、熾き火のように燻り続けるもの。

TAT―絵解き試しの人間関係論

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人生を描く心理学―アートセラピー表現に見られる人生観

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恨んでいるのではなくて、怒っているのだ、私は。
地雷を踏む者は、共に吹き飛ばしてくれるぞ、なのだ。
そういう自分を井戸の中に見据えながら、水を汲む。
それは飲める水なのか、飲めない水なのか。
「青頭巾」の井戸を前に、旅立てぬ自分なのだ。
妄執は、心の中に隙間を作らない。
反芻される負の概念は、癌細胞さながらに潜み続ける。


心に手術はできない。心にふたは被せられない。
心は料理できない。味付けをしても切り刻んでも、
元は何かを知っているのは自分。
原材料が何かを知っているのは自分、この、自分しかいないのから。
煮立ち煮こぼれ、煮凝る思いを、どんなふうに食べるというのか。


空の様に荒れる。空のように晴れる。
雨も降れば雪も降る。流したいこともあれば隠したいことも。
しかし、誰かが地雷を見つけ、ボタンを踏んだ。
どんな核実験をしても大丈夫な場所は無い。
心の中にだって、そんな部屋は無い。
割れ鍋を押さえる綴じ蓋は吹き飛ぶだろう。


心は煮えくり返っているのだから。
静かな水面の底知れぬ深さのように、
だから・・・。だからトレーニングが必要なのだ。
それをトレーニングというものなのか。
心に贅肉があるのなら、走り込めば落ちるものなのか。

心の対話者 (文春新書)

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不動心 (新潮新書)

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ちなみに本日のお題。「自己受容とは何か」
自己受容を相手にどうやって伝えるか。
自己受容を相手に伝える上での困難点は。
考えれば考えるほど、自分が定点からずれていく。
こんがらがってしまう。もつれてしまう。
ろれつが回らなくなってしまう。


何よりも、自己受容を理解していなければならぬ。
100%でなくてはならぬ、でなければならぬ、の
禁止令のオンパレード。ああ。
地獄の釜が開くまで2ヶ月もあるというのに、
煮立ち煮こぼれ、煮凝る思い。
心にふたは要らないはずなのに、ふたをせざるを得ない日々。

自己実現への再決断―TA・ゲシュタルト療法入門

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愛と癒しのコミュニオン (文春新書 (047))

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