Festina Lente2

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転勤とストレス

毎日元気に登校している娘だが、とんと友達の話を聞かない。
誰かの話題は出るけれど、楽しい話題を聞かない。
1学期にいた仲良しさんとは、もううまくいっていないようだ。
子どもの付き合いとはいえ、交友関係は馬鹿にならない。


娘の悩みは、本の世界のような親友に恵まれないこと。
若い頃の付き合いは、自分の成長と相手の成長の相互作用。
頻繁に入れ替わる子ども時代の相互関係よりも、
もう少し落ち着いた関係を望むおませな娘の夢は、
えてして砕かれがちな日常生活なのだろう。


幸い、「転校したい」発言を今週は聞かないが、
リセットしてしまいたい願望が「転校」という手段なら、
大人の「転勤」は、何だろう。一文字違いで大違い。
リセットに似てリセットに非ずの世界なのに、
全くリセット部分と、引継ぎ部分が混在するから大変。


特に、「お友達付き合い」などではなく仕事だから、
本来厳しい側面が多々あって当たり前なのだけれど、
回復力の速い柔らかでしなやかな心を持つ子どもと違って、
転校ならぬ転勤は、利害関係が一目瞭然なだけに憂鬱で厄介だ。


かくいう私は転勤4年目も半ば、哀しいかな、
良い意味で成長して職場に根付いていると言うより、
専門分野を緩やかな防衛網のように敷き詰めて、
諦めと惰性に従って、業務をこなすようになってきた感。
観察と慣れの賜物で、人間関係の綱渡りをしているとも言える。


誠意や友情とは、別の側面で動くことが多い仕事場。
それでも企業ほどの歴然たる力関係や陰湿さは少ないとはいえ、
協調には程遠い一国一城の主たちが、お山の大将なので、
若手が少なければ、それだけ枯渇(固定化された)した人材を
(ベテランといって言いのかどうか疑問な場合も多いので)
どう切り盛りするかが、管理職の手腕とも言える。


最近、こういう文章を見かけた。

いわゆる、「美人は3日で飽きる。ブスは3日で慣れる」か。
しかし、ストレスそのものは人によってはなかなか減らない。
転勤ストレスは、若手ほど順応力があると思われているが、
最近は特にそうでもないようだ。
自己評価と人事(管理職)評価の不一致こそが転勤という
形になって現れている場合も多く、概ね外から見て栄転でも、
内から見ると左遷だったり、要望と食い違うのが常。
ストレスは、たまる一方。


自分自身を振り返ってみると、自分の抱えているストレスより
更に大きい難問がプライベートに降りかかってくるので、
仕事上のストレスに反応できなくなっている感じ。
一旦針が振り切れて、壊れたまま適当に揺れている、
そんな感じだろうか。

転勤プラス思考法 (生活人新書)

転勤プラス思考法 (生活人新書)

ただ、家人などは3年余りの間に2度の転勤(引越し)、
入退院を繰り返したので、ストレスはたまる。
家族の私達もそのあおりを受けるから、
親子共々ストレスは受ける。
そんな当たり前のことに、世間は冷たく出来ている。


ライフイベントはストレスを測る為に重要だ。
引越し(梱包と荷解きは、かなり苦痛)
職場の変化(通勤経路・手段、職務内容・人間関係・役職)
家族関係(家族の転勤、入学・学校・成績、病気・入院・通院、
     近所付き合い、習い事、住環境)
きりが無い、ストレスの要因。


仕事でもプライベートでもストレスが溜まると、
今までできていた事ができなくなってもおかしくはないし、
むしろ当然なのに、周囲からは「リセットできない」
無能力者の烙印を押されてしまいがちな、仕事社会だ。
まあ、営利企業だから人は部品扱いだしね。
「人は城、人は石垣」と思ってくれるとは限らない。
そして、出す側も受け入れる側も余裕がなさ過ぎる。


仕事をすればするほど、やろうとすればするほど、
転勤で直面する理不尽さは多くなり、目が点になる。
マニュアルではなく慣例で動く、無駄の多い仕事内容。
きちんとした引継ぎもなく、山積みにされる仕事。
「ホウ・レン・ソウ」にうるさい企業であるのに、
実際、家内制手工業的・非能率的な仕事のやり方に
翻弄され、後任者はどこから手をつけていいか
わからないような砂漠に、ぽんと下ろされる最前線。
そんな感じで仕事が始まる事も、珍しくは無い。

人事異動・転勤支援ハンドブック

人事異動・転勤支援ハンドブック

若い頃、ある意味抵抗が少なく転勤生活が可能なのは、
良くも悪くも自分の仕事スタイルが確立されておらず、
他者との比較で際立つほどの、自分というものを
持ち合わせていないからかもしれない。
よく言えば「融通が利く」としておけば、美点か。


生真面目に仕事をしようとすればするほど、挫折。
従来のやり方に忠実(マニュアル化されていたり)だと、
新しいやり方、隠れたカリキュラムである慣例に翻弄される。
自分で考え動けるようになるまでの情報が乏しいまま、
戦場に放り出されて、「徒弟制」どころか、
「職場内教育」のビジョンなどありはしない所は多い。


それは企業だろうが、学校だろうが、病院だろうが同じ。
相談される内容は、ストレスの内容は、
人間関係、時間の使い方、職務内容、個人的な生活との折り合い。
殆どそこに集約される。そして、そのストレスの積もり具合は、
隙間風にも似て、秋口から重くのしかかる。


春先は許されても、秋ともなると「慣れた筈」
「わかってきたはず」「できるはず」の期待の中で、
動かなくてはならないから。
それは、子供も大人も同じで、周囲の動きの中に
自分を居場所を確保できているかいないか、
駄目押しが来るのが「秋」とも言える。


実りの秋とも言うが、裏を返せば厳しいもので、
半年経っても結果が出せない、「場にそぐわない自分」
というものを、意識させられる時期でもある。
途中経過の自分と周囲が、理想状態との不一致・
乖離が大きいほど、歯車は狂ってしまいがち。
職場では、仕事では、個人は組織の歯車だから、
「壊れ物・返品は利きません」レッテルは痛い。


人事の面接が始まる頃から、転退職予定者が動く頃から、
日照時間が少なくなって鬱になる人が増える頃から、
秋風と共に心の中に隙間風が吹き始める。
そんな人の話を聞きながら、自分自身を振り返る羽目になる。


だから、今夜も眠れない。私の夜は明け方になる。
私の朝は、すぐにやってきてしまう。
心の中には、暗い波間に漂うようなお日様。
夜明けなのか、夕焼けなのかわからない景色。
自分自身の問題と、人の話の間を漂いながら、
白髪の増える思いを募らせる。


心の中に隙間風を吹かせないように、
「娘という明るい暖かい光」に手をかざしているのは私。
その私は、娘をストレスから守れているか?
娘にとって、北風よりも太陽になる事ができているか?
家族にとって、暖かい拠り所であり続けられるだろうか?
自問自答に暮れて、朝方がやって来る。

睡眠障害の対応と治療ガイドライン

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