Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

落ち込みの種、不穏の土壌

雨の日、足の調子が悪い私は駅まで送ってもらう。
家人は日曜日でも開いている歯医者に行くという。定期券もあるし。
娘は近くの公共施設で遊んでいるはずだった。
私は久しぶりに研修を・・・。
何事もなく予定は過ぎていくのだと思っていた。


相手がどんな人でも驚かないで接する事ができるほど、
肝の座っている人間ではない自分が悲しい。
まして、プラスのストロークを受けたいと内心願って、
ケースカンファ・ケーススタディに顔を出してみようなどという、
甘ったれた部分があっては尚更。


物事はシンクロする。良くも悪くも。
神様は、チャンスの神様は前髪を見せてくれるけれど、
掴むのは自分次第なので、本当に大変。
チャンスだとわかっていても、年だから? 好みに合わない?
反射神経が鈍い? 老眼で見えない? 聞こえなかった?
色んな自分勝手な理由でチャンスを逃す、という「選択」をしている。
物事は良くも悪くもシンクロする。今日はそんな日。
すれ違い行き違いも、ちょっとしたやり取りも。

職場の人間関係づくりトレーニング

職場の人間関係づくりトレーニング

問題解決のレシピ

問題解決のレシピ


電話相談のボランティアで、ボランティア保険があるのを知った。
プロとして関わっている部分と、そうではない部分と。
本業で関わる部分と、そうではない部分と。
なるほどね、何かあった場合。行き来の事故云々。



夜間の電話相談では、穴をあける事ができない。
むろん、私は自分の体や家庭の都合を無視した形で活動する事はできない。
ボランティアではなくて、プロとして働く人はそれなりに、
責任・緊張の度合いが増していく。当たり前のことだけれど。


自分の問題を解決している人、健康な人、技術のある人、絶対に休まない人、
物事をこなす上で当たり前なのに、当然しかるべき条件を並べられると、
若い頃のように「はい」と手を上げられない自分がいる。
忸怩たる思い。


今の自分に必要なのは、ケースカンファレンスではなくて教育分析だ。
そんな事がわかっていても、境界線がぼやけてくる。
危険信号。綱渡り。落ち込みの種を拾っては植え、拾っては植え、
そんな落穂拾いしてどうするんだと自分に言いたい位、
今日は講義を聞けば聞くほど落ち込む。
できていないことばかり、忘れている事ばかり、
つまり、甘えていることばかり。そして、自分で自分が嫌になる。


私が最も苦手とする、マングース型の人物との距離と対処に悩みつつ、
春から初夏に移り変わり、目の前の講師がその人物と瓜二つかと思うほど、
似た化粧、服装、話し方、口調。私は目が点になる。
これは、神が与えた試練? 依存と投影の魔力から逃れる訓練?
言葉尻、話す速度、決まり文句とも言える台詞回し、
一言一句の口調まで、何故こんなにまで似ているのか?
私の苦手なマングース型人物との軋轢が、心の中に沸々と湧き上がる。


与えられる情報が自分にとって役に立つものであり、必要。
考えなくてはならない事は、当然、至極当たり前の事。
攻める口調、責める言い回し、高飛車な確認、上から目線の講義、
「できること」よりも「できないこと」に心が動いてしまう感覚。
一緒にいるとたえず緊張させられる、求められる感覚、
エネルギーを消耗してしまう感覚。
目の前の相手からそれらを感じると、身動きが取れなくなる自分。


むろんそのように受け取ってしまう自分自身に、過去の投影があるとわかっているので、
自分が悪い事は百も承知。なおかつわかっていて、逃げ出したくなる居心地の悪さ。
誘われたその後の自主セミナーも辞退し、帰途に付こうと思えば、
近くまで車で来ている家人と娘。驚き怪しみ確かめれば・・・


雨が降ったという理由で、定期券も使わず外出。
車を1時間500円もするパーキングに止めていた。
1週間の娯楽費、食費が飛ぶ出費。雨の道路は込んでいて動かない。
浪費される時間。せっかく拾ってもらっても苛立ちばかりが募る。
すれ違い行き違い、間の悪さ、運の悪さも手伝って、
家族の空気は険悪。


何も無い記念日。当たり前の休日。
当たり前にして終わりたくなかった休日。
私から言い出さなければ、何も予定の決まらない休日。
映画は特別なことじゃない。週末の外食も。
途中で車を降り、買い物をして帰宅すればいつの景色。
テレビに子守されている親子。


非生産的な空虚な、くつろぎまがいの時間は要らない。
実際は苛立ちにしかならない。やるべき事、やりたい事は
山のようにあるというのに、自由なようで自由にならない時間ばかり。
些細なお金の問題だけではない。
私がパソコンの前に座ってしまうのは、テレビに子守されたくないから。
私がパソコンの前に座っているのは、受身に座っているのではないから。


こんな梅雨時のしけった空気の中では、すれ違いや行き違いは
落ち込みの種を不穏な土壌で易々と育てる。
無益なトラウマの投影は、自己否定感ばかり根付かせる。
育てたくて保ちたくて仕方が無いはずの、未来の花々を枯らしながら。

「イヤなことがなかなか忘れられない人」のための本―上手な気持ちの切り替え方

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