Festina Lente2

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二人のおばあちゃんの死

映画、『西の魔女が死んだ』を見て帰宅後、夕刊を見ると、
ターシャ・テューダーの訃報が。
何だか祖母を二人いっぺんに亡くしてしまったような気分。
大袈裟かもしれないが、正直そんな心境。


直接会ったこともない、物語の中の人物。
写真と翻訳でしか見たことも聞いたこともない人。
けれども自分の心の中に存在していて、何かの折にふと思い出す。
心の中に存在していたおばあちゃん。手本にしたい生き方。
賢婦人。自然と共に生きている人。凛とした雰囲気。
憧れ、望ましい生活、夢、そして芯の通った、信念。
 

映画の中の人物は、物語の人物。架空の人物にしか過ぎないのに、
サチ・パーカーの演じた「西の魔女」は存在感のあるリアルな女性で、
彼女がシャーリー・マクレーンの娘であること、
私とそれほど年齢が違わないこと自体にも、驚いた。


梨木香歩がこの作品を書いた時、日本人でありながら、
異国の香りのする人だと思った。彼女の留学体験や生活が、
色濃く反映されているにしても、日本の文化を色濃く醸しながら、
西欧の香りがする透明な作風に、驚かされたものだ。
あれから何年経ったのか。私は結婚し、娘を持ち、仕事を続け。


書くことで、様々な人の生を紡ぐことを「生業(なりわい)」とした人の、
才能と同時に精神的な強さ、逞しさを眩しく思いながら、
今また、その人の作品が原作の映画を家族で見る。
家族の在り方、親子の関係、娘の成長、人としての生き方を描いた、
珠玉の作品を映像化されることに、抵抗があったのだが、
幸いなことに、それは杞憂に終わった。

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

フォレスト・ストーリー~Sound Scape from 映画「西の魔女が死んだ」

フォレスト・ストーリー~Sound Scape from 映画「西の魔女が死んだ」

NHK 喜びは創りだすもの ターシャ・テューダー四季の庭 永久保存ボックス〈DVD+愛蔵本〉

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西の魔女が死んだ』の初日。家族3人で見に行った。
私はこの作品のファンだから、娘には既に読んで貰ったが、
この手の作品には全く無関心の家人には、起伏のない退屈な映画だったらしい。
見た目のアクション、メリハリが好きな人間はこれだから困る。
それはともかく、やはり原作を知らない人間にとっては、
話の展開に付いていくのが難しい作品かもしれない。


狭い庭にびっしりと野菜やハーブを植え、花を育て、ジャムを作り、
古い服を縫い直してエプロンや仕事着に作り変える。
そういう生活を私の母もしてきた。なのに、私は何も受け継がず、
仕事だけにかまけて歳を重ねてしまった。
そういう胸の痛み、良心の呵責を作品の中に読み込み、
再び映像の中にも見出した。


いじめや思春期独特の仲間内の付き合い、人間関係に疲れて、
生き難い、扱い難いタイプとされていた主人公は、自分の子ども時代、
思春期を髣髴させるのに十分であり、
親の生き方や考え方を尊敬しながらも受け入れきれない苛立ちも、
ギクシャクした親子関係も、全て自分自身に重なる。
しかし、この作品が多くの人に受け入れられているならば、
多かれ少なかれ、みな似たような経験をしながら成長しているのだろう。


小学校3年生でいじめを経験した私は、
中学生になってもずっと同年齢の子どもが苦手だった。
私は登校拒否になどならなかったが、人間不信は尾を引いた。
バーチャルリアリティに遊ぶようなゲーム世代ではない分、
本の世界に没頭して、頭でっかちになった。
体感・直感・行動、規則正しい生活、精神的な基礎体力、
この作品で言う所の「魔女修行」という言葉を知っていたら、
こんなおばあちゃんが居てくれたらと、
・・・いい年の大人になった今も憧れる。


自分の母が、生活を切り盛りしながら、その時その時に出来ることを
精一杯してくれていただろうに、娘時代には気づくことなく、
孫にしてくれることは、かつての自分にはしてくれなかったこと、
今更余計なことばかりと感じてしまう、狭量さ。
そういう自分の内心を省みながら、作品の世界と向かい合う。
私にとって『西の魔女が死んだ』はそういう作品だ。


実の親から言われることは何かと棘に感じて苛立つというのに、
他人から本から作品から受け取ると、すっきり体に入り込んでいくのは
何故なのだろう。幾つになっても不思議でならない。
人は、誰でもそういう部分を持っているのかもしれないが。


とにかくこの作品が完成し、成功したといえるのは、
日本人側の役者の力よりも、「西の魔女」役のサチ・パーカーの力であり、
この作品にふさわしい家と庭、背景となる自然を映し込んだ事にある。
BGMが殆どシンセサイザーで処理されていたのが残念で、
せっかくの原作に忠実に再現された背景・作風に、
人工的なノイズを加えていたように思えてならない。


原作を読んでいない人には、是非読んでから観ることをお勧めする。
1時間も掛からず読める作品なのだから。
そして、パンフレット付録のかわいらしい魔女修行のノートが、
何とも愛らしく、ほのぼのしていることにほっとするのでは。

虹

  

脇を固めている日本人役者で、非常に難しい役柄を、
ちりとてちん』の飲み屋の主人熊五郎さんこと、キム兄が演じていた。
これは意外であり、予想外に上手だった。
ある意味、役者というものは異なる世界を行き来できるので羨ましい。
ちりとてちん』の世界も、『西の魔女が死んだ』の世界も両方とは。


作品全体には、柔らかな色彩と同時に様々な植物が溢れている。
そして手作りの良さ、訥々とした素朴な暖かさが溢れている。
祖母と孫娘の会話、人の死についての疑問、やりとり、
喧嘩別れが今生の別れになってしまう、人の世の慣わし。
ガラス戸に残されたメッセージ。


繊細な心というものが、言葉で表現しきれない思いというものが、
溢れている映像・・・。凛とした気品に溢れる懐かしさと涙。
この作品に抱いた思い・印象と似ている作品は、遥か昔に見た『八月の鯨』。
あれは老姉妹の間での心のやり取りが中心だったが、
この作品は次に何が起こるかわかっている「死」を見据えている祖母と、
成長の谷間にあって死を恐れている孫娘との、心の触れ合い。


死を見据えながら、どのように生活し、誰に何を伝えたいか。
普段意識の底に眠らせている思いを、掬い上げるようなこの作品に、
私も娘もそれぞれの涙をこぼして帰宅した。
今日は夏至。曇り空で日の長さを実感することは出来なかったが。
そんなふうに、心のやり取りも実感できないままやり過ごされ、
見過ごされて時間を重ねていく間に、取り返しの付かないことが
多々あるのが現実なのだろう。


もう一人のおばあちゃん、ターシャ・テューダーが何を思い、
何を伝えようとしていたか。それよりも遥かに鮮明に、
西の魔女が死んだ』が、伝えてくれたものがある。
この作品の封切り日に、彼女の訃報。何とも言えぬ思いがする。

ターシャの庭

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暖炉の火のそばで―ターシャ・テューダー手作りの世界

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生きていることを楽しんで (ターシャ・テューダーの言葉 (特別編))

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