Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

5年ぶりに会って

転勤前転勤後。ビフォーアフター
居心地が100%良かったと言うわけではない。
良くも悪くも長幼の序をわきまえ(過ぎ)て、
何も考えずに過ごしていたかもしれない。
何かをするべき人に守られて、安穏と。
戦いの最前線には立たずにいたのかも。
今と違って、殺伐とした気分にならずに仕事が出来た。
あれから、5年。


1年の締めくくりの飲み会、打ち上げがあったのは遥か昔。
娘がまだ小さくて、出かけることができなかった。
まさか転勤するとは思っていなかったので、
それきり一緒に食べたり飲んだりくつろぐ事も出来ず、
共に仕事をした喜びも分かち合うことが出来ず、
心残りだった。
もう、あんなふうに純粋な気持ちで
(それなりに傷つくことは多かったけれど)
目の前の仕事に打ち込むことは出来ないだろう。


今は、今で何とかこなしているけれど、・・・
まっさらな気持ちで仕事をしているのではなくて、
見たくない物を見ながら、考えたくない事も考えつつ、
年を取って経験するってこういうこと?と思いながら、
仕事をしている。だから、心が時々空白になる。


それは、クリスマスが来てもプレゼントを用意する気力がない。
そんな感じ。目の前に何かイベントがあっても、
それは自分から遠くかけ離れている。
何かそれに熱中すれば、肩透かしを食らう。
足元をすくわれるから、最初から熱中しないでおこう。
そんな感じの消極的な気分にも似て、一日が終わりかける。


この所続いているプチ鬱は、エアポケット。
あっという間に私を吸い込む。
そんな私が、5年ぶりにもと同僚と飲んだ。
5分前でも、待ち合わせ場にみんな集まらないので
本当に会えるのかしらと心配になったけれど。

漱石先生 お久しぶりです

漱石先生 お久しぶりです


飲む場所もメニューも何も決めていない。
クーポンも割引券も何もない。
行き当たりばったりで店を探し、入ろうとする。
えーっと、この人数でですか? それは無理じゃないかと。
巷ではクリスマスと忘年会を兼ねて、月曜にも拘らず、
結構な人出、にぎわしさ。


最後のメンバーが集まったのは、1次会が終わる30分前。
適当に食べて、適当に飲んで、適当に話をして、
節操なくビールもワインも日本酒も焼酎も。
酔えないまま、話は進む。お久しぶりね。
なのに、全くお久しぶりの感じがしない。
いきなり本論が、本論のまま。前置きもなく。
5年間の空白は全く感じられない。
それほど、濃い話をしたという感じではないけれど。


よく考えてみれば、私が一番若手だった。
平均年齢が半世紀を越えている集いであれば、
私はやはり「よしよし」と庇われている感じ。
以前仕事をしていた時も、こんなふうだったかな。
久しぶり、そのブランクはどこへやら。
勢い2次会に流れて行けば、ショットバーも混み混み。


プチ鬱のせいなのか何なのか、飲んでも酔わない。
みんな随分おとなしく飲んでいるね、とさえ思う。
ああ、よく考えてみればみんなセーブして飲む年。
それとも、こんなふうに紳士だったのね。
切ないことやしんどいことがあっても、
いつもこんなふうに守っていてくれたんだね。
ああ、風除けのないまま仕事をしている今、
私は随分大切にされ過ぎて、忍耐力を失ってしまったのか。


今朝のニュース、ターシャ・テューダーのせりふが流れていた。
字幕では「最近の人は待つ事をしない、できない」だったが、
それは意訳し過ぎかな、深読みし過ぎでは。
「Waiting」ではなかった。
彼女が何度も繰り返して言ったのは「Patiant」だった。
決して「待てない」だけではない、心のゆとりがない苛々感。
現代社会のマニュアルで答を欲しがる安直感。
それに抵抗して、予測不能な自然の営みの中に自分を対峙させる、
その忍耐強さ、辛抱強さを、心の持ちようを強調したかったのだと思う。


実際毎日の生活、待つ時間、心のゆとりはない。だが忍耐力もない。
それでは物事が立ち行かない。わかっている。
保育園の頃まで悠長に待てたことが、小学校に入った途端待てない。
娘に過剰に期待し、せかし、自分自身が苛々している、
そのことに気付いて余計に焦る、やるせなくなる、このローテーション。
「ゆっくりいそげ」と言い聞かせても、自分自身が制御できない。
思い通りにならないことに、必要以上に自分を空費し、
当たり前に受け取るべき事を、失敗や屈辱と感じる。
このゆとりのなさ。


先輩方は、新しい職場でどうなさっているのだろう。
元の職場に残っているのはわずかに一人。
一癖も二癖もありながら、持分を一人分以上に守り、
仕事をし続けているタフな人たちと一緒に、
私は飲んでも酔わない。醒めていくばかり。
楽しくても、ますます哀しく醒めていくばかり。
色々話せて心の中の風通しが良くなったのは確か。
一緒に会えて飲めて良かったと思う。
5年ぶりに話せて、忌憚ない意見を述べ合い、
批判されることさえも、ありがたい御言葉で。
愚痴を言い合い、やっぱり最後に気遣ってもらう形になり。


こんなふうに飲める仲間と、2度と一緒に仕事をする機会はない。
一期一会、毎日が一期一会だとわかっていても、大切に出来ていなかった。
自分の若さ、能天気加減を悔やむ。今更だけれど。
いきなり失ってわかる、細やかな配慮、連帯感、思いやりの交錯する、
個性豊かな仲間達との日々。久闊を叙す機会が今日ならば、
少々早めのクリスマスプレゼントを貰ったと同じかも。
形にはならない、なっていないけれど。


そう、私達の仕事はいつもこんなふうに形がない。
クリスマスを境目に、元気が出ればと思っていたけれど、
用意したプレゼントを贈る事も出来ず、整える事も出来ず、
積み残したまま、ああ、これは全く。
お久しぶりね。心の中で感謝と懐かしさ。
心にスイッチが入っているような感じがする。


ちょっとどこまでが本物の私で、どこからが?
転勤前と転勤後。ビフォーアフター
どちらも同じ私なのに。
飾り付け前のツリーと飾りつけ後のツリー?いえいえ、
クリスマス前とクリスマス後のツリーの差。
慌しく前向きにツリーに向かえども、
飾りを外せばベランダから投げ捨てられるツリー。


転勤後のアップダウン、心の坂道を転がり落ちる。
空白をスィッチで切り替えて。
街にイルミネーションが増えるよりも、減った今年。
飾り立てることが少なくなった住宅街のほの暗さに、
却ってほっとしている今年。


5年ぶりに会って、私には何が見えた?
いつも一緒に居たような、5年間の空白を感じさせない今晩。
私は進歩していなかったのかしら? この5年間。
それとも先輩達に少しは近付いていたのかしら?
この5年間。
それとも、だんだん我侭に意固地になっているだけ?
もうすぐクリスマス。聖夜の贈り物にふさわしい、
一途で愚かな賢者にはなれない。


「また今度」と挨拶をして別れる。
あっという間に5時間。そんなに話をした?
いつ今度があるか、わからないけれど、また今度。
夜風は冷たく酔い覚まし。心はいつも揺れたまま。
明日のことなどわからない。
紙切れ一枚で動かされるのだから。

ターシャ・テューダーのクリスマス

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