Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

その場に居る事が

聞いているだけに見える、そのことが実は大変。
目の間にいる人は、自分の苦手な話し方をする人。
話している内容は正論。特に内容に問題は無い。
その人の話し方にかなりの抵抗を感じてつつ、
その場に居なければならない事が、大変。


例えば、自分の嫌いな人に似ている。
    自分の嫌いな人と声がそっくり。
    「ですよね」「ですからね」「だよね」ね尽くし
ダメ押しされているのか、強引に同意を迫られているのか、
「ね、ね、ね」と続いて「そこんとこ、わかっていないと駄目よ」
「〜じゃないから」「〜ありーの、〜しーの」「ですかぁ?」
「〜みたいな」「あ、そう?」「で、しょうかぁ」


きっと、話し癖、口調、多分独特なイントネーション、
少々威嚇するように、聞き手に問いかけるように上げる語尾、
関西弁に無理矢理「ですます」を付けたような、妙な抑揚、
おそらく自分も録音を取れば、穴があったら入りたい、
そんな独特の言い回し、話し方をしているに違いないのだろう。
けれど、やっぱり駄目だ。この人の話し方。
慣れるのに時間が掛かり過ぎる、いや、慣れるだろうか?
自分がおかしいかもしれないと思いながら、
人の話を聞いている、今日の研修。


この仕事に付いて色々な人の話し方を聞いてきたつもりなのに、
それでもまだ、個性とも言うべきその人独特の話し方に、
? と思わずにいられない。
? と感じるだけではなくて、「やめてくれー」と思うくらい、
抵抗を感じるのは、陰性転移なのか、何なのか?


その頭痛がするほど苦手な雰囲気の話し方をする方から、
本日最後に語られた内容が「バランスの取り方」
どの業界でも必要不可欠な事柄でありながら、
もっとも難しい内容とみなされる、基本中の基本。
バランスとはなんぞやから始まって、バランスが取れなければ・・・。

苦手意識は捨てられる NLP脳トレーニング

苦手意識は捨てられる NLP脳トレーニング

精神科医ですがわりと人間が苦手です

精神科医ですがわりと人間が苦手です


北京オリンピックを見てきた人が、「場に望む」こと
「場に飲まれる」「場を知る」「その場でのあり方」など、
短い滞在ながらも体験したことを話してくれる。
単なる応援団、観客として行き、見て帰ってくるのではなく、
メンタルトレーナーとしての視点を学ぶために、
北京オリンピックの熱気、現実、感じたことを語り、
伝えてくれる貴重な機会。


その「場」に臨む。オリンピックではなくても、
現場に入ること、現場で仕事をこなし、やり遂げる難しさ、
その場に臨む、立ち続けることがいかに難しいことか。
それを達成するためにはどうすればいいのか、
何が妨げになるのか、具体的に話が進んでいく、
その中で、既に私は躓いている。


話し手の、もっとも中心となる話し手の声さえ聞くのが苦痛。
ここからスタートしている。
話し手の話し方が耳について、鼻について、生理的に受け入れられない。
ここからスタートしなければならない自分の状態を、
どう受け止めればいいのか、そこからスタートしている。


一つのことに打ち込んで、大きなプロジェクトに関わって、
仕事をこなしてきた人間として目の前に立つであろう人の、
自分自身の中に豊かな実りをもたらすであろう種を蒔くはずの、
その研修や勉強会に来て「前に立って話す人」に、
かくも生理的嫌悪感を感じるのは何故なのか。
この苦手意識の奥深い根はどこにあるのか、
この年にして、ここまでうんざりしてしまうのは何故なのか、
そこからスタートしなければならないのは、大変。

だから研修? だから勉強? いや、修行?
地雷ではないが、巻き菱の上を歩かされているような不快感。
その苛立ちが、嫌悪感が、どうして湧き起こるのか。
単なる生理的嫌悪感、苦手意識以前に何かの投影なのか?
偶然感じるものなのか、必然的にかき立てられるものなのか。
その「いけすかなさ」を感じる理由もわからずに、
毎回聞く羽目になるならば、これもたまらぬ。
そんなふうに思いながら、「その場」に臨んでいた午前中。


バランスを取るということは、相手との距離を取るということ。
自分の価値観や気持ちに固執すればするほど、
バランスを保つのは難しい。狭い視野の中で平衡を保つのは、
自分の考え、価値観に振り回されず周囲との関係を持つのは、
難しくなる。余りにも至難の業になる。


バランスを見失い、相手や周囲との距離が測れなくなり、
つまりメンタル不全を起こす時、認知は歪み、ずれて、
自分自身を追い詰め、しまいには・・・。
そうならない様に、ブレーキを掛けるために集い学び確かめ合い、
謙虚であろうとするわけだが・・・。
この年にして、戸惑う。何だろう、この違和感は。
この落差は。


前に立って話す人がいて、上手く受け止めることが出来ず、
混乱しながら耐えている自分がいる。
そして、〜ならば、ここはこんなふうに話すだろうとか、
これはこういう例を出して、自己開示するだろうとか、
常に比較しながら見てしまう。
そのまま話し手を受け入れることが難しい。


目の前にいる人が、単に、単純に、
こういう話し方をする人なのだと、「受け入れる」のが難しい。
内容以前の部分で、受容するのが難しい。
仕事を続けてきて、こういう基本的な?部分で
今更足踏みをしている「しんどい」感覚が押し寄せてくると、
これが「気づき」「反省」「振り返り」なのかと思うと、
・・・こういう状態が半年近く続くと、さすがにがっくり来る。


そんなわけで、「君子危うきに近寄らず」なのか、
「臭いものには蓋」か、「無くて七癖」、
「人の振り見て我が振り直せ」、「蓼食う虫も好き好き」、
「ところ変われば品変わる」、「見ると聞くでは大違い」、
「果報は寝て待て」・・・?
何がしっくり来るのか定めることが出来ず、
今日も今日とて、無駄に? 悩み落ち込んでいる。
おそらく「今」が一つの山場なのだろう。
                      

心を満たすクラシック 9癒しのバロック BESTHEARTFUL CLASSICS (9) BAROQUE

心を満たすクラシック 9癒しのバロック BESTHEARTFUL CLASSICS (9) BAROQUE