Festina Lente2

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ジーザス・クライスト・スーパースター

終業後、月に一度のボランティアを終えて大急ぎで帰宅。
最初の曲には間に合わなかったけれど、BSで懐かしいミュージカル映画を観る。
当時の衝撃、ショックの大きさ、感動の強さをうまく言い表すことはできない。
小学生の頃から教会の日曜学校に通い、旧約も含めて聖書を読み、
おませな文学少女だった私。


クラッシックピアノとステージ101仕込みの洋楽とダンス。
そんな私の生活の中に、生身の人間が演じる歌とダンスの物語として
入り込んできたミュージカル。
生身の若者たち、青春群像として繰り広げられた世界。
歌、ダンス、ミュージカル、歌、ダンス、演技、砂漠。
現代から聖書の時代へ、激変するプロローグとエピローグ。


私は中学生だった。私は映画の中のマグダラのマリアに自分を重ねた。
私もマグダラのマリアになりたかった。
ハワイ出身の日系人の歌手は、自分を重ね易かった。
ロンドン、ニューヨークのブロードウェイ、映画と歌い続けた
イヴォンヌ・エリマンは、その後も歌手として活動を続けた。


私は中学生だった。チェロキー・インディアンの血を引くという、
小柄なテッド・ニーリー。独特のテノール
このイエス・キリスト役の青年に憧れ、プラトニックな恋をした。
キリストは聖書の中から抜け出して、ジーザス・クライストとなり、
悩める青年像の原型として心に刻まれた。
映画の中で、帰りのバスにただ一人戻ることの無かった青年に。


ストレートな感情をぶつける黒人のイスカリオテのユダ
疑問・懸念・心配・懐疑・不安・抑え切れない思いの数々を、
マグダラのマリアに対する嫉妬を、イエスに対する愛情を、
ユダヤの民族の未来への希望と失望と、
アンヴィバレンツな思いに引き裂かれて自滅していく神の小道具。
汗の臭いのするカール・アンダーソンは、天使のコーラスに包まれていた。


その当時は人種差別的な隠喩を含んだマグダラのマリアと、イスカリオテのユダ
白人ではないからこそ、意味のある3人。
世界は白人のものではない、聖書の世界は。だから私の所にも?
それはそのまま映像から飛躍して、心の中に飛び込んできた。
悩み、苦しみ、信頼し、戸惑い、熱狂し、怒りをぶつけ、叫び、泣く。
受け入れ、諦め、裏切り、抵抗し、委ね・・・死ぬ。

ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック

ジーザス・クライスト・スーパースター ― オリジナル・サウンドトラック

Jesus Christ Superstar (Original London Concept Recording)

Jesus Christ Superstar (Original London Concept Recording)


これを観た中学2年の時、物の考え方が大きく変わった。
ミュージカルの作者が、作詞者と作曲者が20代の若者ということも驚きだった。
彼らはその後、世界中に新しいミュージカルを生み出していく。
ティム・ライスアンドリュー・ロイド・ウェーバー
そして、映画監督はノーマン・ジュイソン。この作品の前に、かの大作。
屋根の上のバイオリン弾き』を撮った。


音楽も、詩も、映像も全て、若々しく刺激的で、
その後私はいつか必ずと決心して、勉学に励み、
憧れのイスラエルへもユーゴスラビアへも旅するのだが。
それはずっとずっと後のこと。
でも、原動力はこのミュージカルが与えてくれたのだと思う。
当時の感動を、上手に言葉にすることはできないけれど。


私は貯金をはたいて2枚組LPを買い、毎日聴いた。
歌詞を覚え歌えるようになり、おかげで中学時代、英語は上達した。
その後さまざまなミュージカルをロンドンでもニューヨークでも日本でも観たけれど、
ほぼ全曲歌えるようになったのは、この作品だけだろう。
聖書の世界は自分の現実のように、青春の挫折として目の前に広がっていた。


私は、『ベン・ハー』の映画をもう見ていただろうか? 思い出せない。
『クオ・パディス』は読んでいたが、映画は見ていただろうか?
十戒』は? 最初に見たのは何時だったか、思い出せない。
ただ、この作品だけは思い出せる。
中学2年生の冬、お正月映画だった。


この頃、私は教会にも日曜学校にも既に通っていなかった。
引越し後、田舎には自然はあったが、魂の拠り所となる場所は無かった。
ある意味、私にとっては何も無かった。
ピアノのレッスンの帰りにレコードを捜し求め、擦り切れるほど聴き、
高校の音楽のテストの自由曲で歌った。その頃、私は文学少女と言うより、
キーボードプレイの優れたプログレハード・ロックのグループに心酔する、
普通の高校生になっていたのだけれど。


BSで本当に久しぶりに見たミュージカル映画
ジーザス・クライスト・スーパースター』で気が付いたこと。
みんなが、出演者が、主役たちが、ただただ若く見えた。
そう、私はとっくに彼らの年齢を追い越していた。
かつて、憧れの存在として見上げた人々は、映像の中では若々しいまま。
心の中に仕舞っていた青春の思い出のように、不老不死。


それに比べて、私は? 現実の私は歌うこともなく踊ることも無い。
純粋に信念を持ち、信頼を寄せ、愛情を求め、主義主張に固執することも無い。
汲々と世渡りし、生活に押し流され、一喜一憂しながらその日暮らしをしている。
当時望まなかった「大人」になってしまっている。
そのことに忸怩としながら、生きている自分に。


みんな若く見えた。本当に初々しいくらい若々しくて、
生きていればきっと、登場人物はみんな・・・60代以上。
ああ・・・、ちょっとリアルに想像したくない。
みんな若く見える。そういう年齢になってしまった自分。
かつて「大人」だと思っていた人々が、「青年」「若者」にしか見えない。


何とも言えない感慨を抱いている時、大好きなシーン、
疲れて帰って来たジーザスを迎え、寝かし付けたものの、
自分は眠れず一晩中起きている。そんなマグダラのマリアが歌うラヴ・ソング。
「I don’t know how to love him」を観ながら、娘が口を挟んだ。
―この人、イエスが好きなんだね。朝までずっと起きていたんだね。
よく一晩中起きていられるなあ・・・。―


娘よ、恋の気配に敏感な君は、
さすがに思春期を控えたプレ10代だけのことはある。
小さい頃から一緒に映画を観ていただけのことはある。
これってお母さんの好きなジーザス・クライスト・スーパースターだよね。
(車の中でCDを掛けることがあるから)
でも、みんなの衣装がおかしいよ。昔の話なのに、
どうしてタンクトップ着たりしているの?


うん、冒頭のシーンを見ていないから当然の疑問。
そんな娘の素朴な質問を聞きながら、現実に引き戻され、
落ち込む直前の私はかろうじて這い上がり、息を付く。
神様、私はこんな生活をしています。
中学生の頃を遠く離れて。
Could We Start Again Please?

Jesus Christ Superstar: The 20th Anniversary London Cast Recording

Jesus Christ Superstar: The 20th Anniversary London Cast Recording

ジーザス・クライスト・スーパースター

ジーザス・クライスト・スーパースター