Festina Lente2

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みそひともじの青春

一月ほど前に目にした本。ピチピチ高校生の短歌が載っている。
同志社女子大の求めに応じて、精選された応募作品。
その中には英語の短歌もあって、それは素通りしている私。(笑)
でも、中には自分も高校生に戻って胸が痛くなるものもある。
身につまされるというか、何と言うか。
今時の高校生が感じている、この気持ち。
実は来年の春になれば大台に乗ってしまう自分が、
今も持ち続けている切なさや憤りとなんら変わる事がない。
その事実にも驚かされる。嬉しくもあり、哀しくもあり、
やや複雑ですが。


そのうち、幾つか紹介してみましょう。作者名は省略しますね。
本には作者の一言も載っています。


例えば恋の歌。
「いつだって時速100キロでてるけど私の恋路は一方通行」(高1)
「グラウンド部活に励む君を見て君が見つめる人も見つける」(高1)
ああ、こういう気持ちのときってあったなあと微笑ましくも青春の日々。


そうかと思えば、親や大人を見つめてこんな歌も。
「帰省中祖母と語らう我が母の幼き顔に少し驚く」(高1)
「父は株私は偏差値母チラシ数字だけしか見れない世の中」(高2)
こんなふうに暖かく見守る歌も詠むし、社会を斜めから見つめることも出来る。
高校1年生は中学生よりも少し大人。2年生、3年生になると、
がらりと変わって醒めていく歌も増える。


「落書きと目立たない傷が増えていく机とノートと社会と私に」(高3)
「『ありがとう』『ごめんね』『おはよう』それだけで人を救える世界が変わる」(高1)
疲れた面持ちの高校3年生の横顔が見えてくるよう。
それに比べて、未来を信じる若さやしなやかさに溢れる高校1年生の短歌。
その疲れに共感しながら、前向きな歌に勇気付けられる中年の私。


仕事だとわかっていても、わりきれないし
だんだん追い詰められていくような気持ちになりながら、
贅沢だなあと嫌になる。自分がどんなにサボっているか、
手を抜いているか、好きな所だけは一生懸命にこだわっているか、
わかっているだけに嫌になる。
そして、そんな気持ちは高校生も日々感じている。


「霜柱土筆朝顔彼岸花3年間の我が通学路」(高3)
「はみだして生きていくのもいいんだよ幼きころの塗り絵のように」(高3)
「『頑張ろう』この言葉には16年ずっと嘘をついてた気がする」(高2)
「"がんばれ"は甘く確かな命令形がんばらなくちゃと思わされるから」(高2)
「今日と明日渡りたくない時もある午前零時の静けさの中」(高2)
「星の数数えることは無理だけど見上げる自分はここにだけいる」(高1)
「友達の前では『俺』を演じてる一人の時だけ本物の『俺』(高1)


いかがです、目に付いたものを抜粋しましたが、他にも優れもの一杯。
とにかく、ああ、こういう気持ちわかるわかると思うものが一杯。
普段たまに美しい写真に触発されて歌を作ってみたりするけれど、
所詮みそひともじとは縁遠い世界にて、じたばたじたばた生活。
しなければならない優先順位から逃げ回ったり、
もう、自分でもなんていったらいいのか、だらけている。


高校生の時のような純粋な気持ちは無くて、加減はいい加減とやり過ごす。
手抜きのずるさを余裕と思ってやり過ごす。
そんな自分に忸怩とした気持ちを抱いていると、
ますます辛くなるので、自分の気持ちに蓋をして
「大人なんだから割り切らなくちゃ」と思って生活している。


そんな自分に、ああ、高校生の頃、若かりし頃、
こんな気持ちで生きていたなあと思わされる、作品。
どうぞ、皆さんも手にとって読んでみませんか?
秋の夜長に、高校生のみそひともじを。

一人で始める短歌入門 (ちくま文庫)

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