向田邦子の母上も逝く
読売新聞から記事を転載。本日の夕刊より。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column2/news/20081022-OYT1T00352.htm
10月22日付 よみうり寸評
2008年10月22日(水)13:46
〈「父の 詫 ( わ ) び状」はそのまま「母への詫び状」になってしまった〉−−向田邦子さんは名作「父の詫び状」のあとがきにこう書いた◆その3年前に 乳癌 ( にゅうがん ) になり、入院、手術をしたが、母には病名を隠していた。「あとがきを書き終えたところで、だましていた親不孝を謝るつもり」とも書いた。が、母の方が役者は上だった◆「3年前のあれはね、実は癌だったのよ」とうち明けると、母は一呼吸置いて、いつもの顔で「そうだろうと思ってたよ。お前がいつ言い出すかと思ってた」。これは別の著書「眠る盃」にある◆向田さんの作品は生活人の昭和史として評価が高い。昭和の家庭が息づいている。夜更けの茶の間に母が鉛筆を削る音。母の美しく削った鉛筆は長い順にきちんと子供たちの筆箱に◆「お 燗 ( かん ) が遅いぞ」と父にどなられながら 火傷 ( やけど ) しそうな指を耳たぶに当て冷やし冷やし燗をつける母……そんな昭和の母、向田せいさんが100歳で亡くなった。長女の邦子さんが亡くなって27年◆昭和がまた遠くなった。合掌。
向田邦子。久しく忘れていた懐かしい名前を聞いた。
夕刊で知った向田邦子の母上の訃報。
というよりも、まだご存命だったのかと驚き、
娘の分まで100歳の長寿を保たれたのかと、ある種の感慨。
中・高生の頃、人気があったと言う民間のドラマは知らないが、
『あ・うん』の静かなクラシックの曲を背景に、一人の女と二人の男。
友情と愛情が無い混ぜになった世界は、何とも切ないものだった。
戦局厳しさ増す時代背景の暗さと共に、沁み渡るような哀しいドラマ。
それよりも、等身大で身近に感じられたのは『阿修羅の如く』
強烈で印象的なトルコの軍楽隊の音楽をBGMに、
当時の自分の感覚では知ることのできない生臭い人間ドラマに、
圧倒されたのを覚えている。
その他にも、向田邦子の短編をドラマ化した作品は、
その鋭い視点、展開で世間知らずの文学少女を圧倒した。
昭和を戦前、戦中、戦後と駆け抜け、
円熟期に彗星のように散った向田邦子。
彼女が活躍した時代、昭和を生き延び、平成を20年永らえ、
娘の分まで長寿を全うした昭和の母の訃報は、
再び苦い切ない思いを呼び起こした。
向田邦子の死から四半世紀以上が経っている。
改めて時間の過ぎ行く早さと同時に、忘れられない人の存在を
若い頃の自分に影響を与えた人の生き方と、作品を思い出した。
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最近の若い子は言うそうだ。
昭和の人間とは付き合えない。かったるい。ださい。
逆に昭和っぽいのが好き。昭和ってレトロで面白い。
どちらでも構わないが、私も厳然たる昭和の生まれ、
高度経済成長期に育ち、記憶の底には微かに東京オリンピックの映像。
遠足のエキスポ70。沖縄が日本に戻ってきて国土が広くなり、
トイレットペーパーは無くなるオイルショック。
家のTVはカラーに。溢れる映像、異国の音楽、
憧れだけは山のように。でも、学べば学ぶほど、
知れば知るほど、夢はしぼんだ。
自分にできることなど、タカが知れていると。
あれは、大学生の頃? いや、もう勤めていた。
初めて東京に出張。記念に赤坂で小さなルビーの指輪を買った。
夜、夕食を兼ねて一人で飲みに、「ままや」に出向いた。
向田邦子の妹、和子さんが開いていたお店。
向田家のレシピにあるメニュー、美味しい日本酒、
向田邦子もたまにやって来て手伝ったという、こじんまりした店。
むろん、もはやその店もなくなって久しい。
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100歳を超え、老衰で亡くなられた母上を看取ったのは、
この和子さん。どんな思いで喪主をつとめられたのか。
昭和の母は逆縁の不幸に会いながらも、生きた。
向田和子の人生、作品を育て支えた存在はその両親にある。
人は願う願わざるに関わらず、親の影響からは逃れられない。
まして、家庭ドラマをTVの世界に持ち込んだ人。
娘に影響を与えない母などいない。
母に影響を与えない娘などいない。
自分自身が「長女」だから、尚更そう思う。
自分自身が「母」になったから、尚更そう思う。
最も私の娘は平成からその先へ、生きていくのだろうが。
まだまだ若木の娘を見て、そう思う。
私は既に「昭和の母」にはなれないが、
昭和の時代の何がしかを記憶に留め、伝えて行きたい。
せめて、娘に何がしか残せる母に。
自分に合わない手袋なら、手袋無しの寒いままで生きていこうとした娘。
激動の時代に、嫁ぎ、産み、育て、亡くし、生きて、逝った母。
記事を読み、私の心は波立つ。
長女の長女の長女の長女である「私と娘」。
既に、母と深く語らうことができなくなっている娘ではあるからこそ、
いっそうの感慨を持って、訃報記事に見入る。
昭和に強烈なライフスタイルを持って生き抜いた職業婦人の娘、
今もなおその影響を保ち続けている作家を育てた、
その母の訃報記事を。
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