Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

物思いに包まる

土日の間に炬燵を出した。我が家の居間兼応接間兼炬燵部屋。
夜なべ仕事部屋兼転寝(うたたね)用寝室、炬燵部屋。
今週は12月1月の冷え込みだという天気予報に従って、
ボア毛布のシーツも用意、布団乾燥機は常に出して、
すぐにお布団をあっためられるようにしてある。


両親は古い世代で、暖かな軽い羽毛布や肩掛けを使ってくれない。
どっしり重い感触のある布団や毛布を好む。
腰や神経痛にいいマット、低反発の敷布団、防ダニ仕様のシーツ、
様々なものがあるというのに、唯一使うのは電気毛布。
余り頼って欲しくない電気毛布が暖かいと信じている。
まあ、それならそれで・・・。


むろん娘には電気毛布も電気あんかも使っていない。
親は使えとうるさいけれど、体が弱ってしまう。
子供は体温が高いから大丈夫といっても、孫を心配する。
何しろ木造の我が家はガス中毒には絶対ならない、
隙間風という空気の流通には恵まれた、寒い構造。(笑)
マンションのように冬でも20度前後、10度より下がらない室内、
そんな恵まれた環境にはない。


いつも憧れるのが、お日様の匂いのするお布団。
残念ながら勤めていると、それは無理。
結婚祝いに友人にリクエストした布団乾燥機大活躍の冬。
泉大津毛布祭で買ったマイヤー毛布、お得な上掛け下掛け。
そういうものに包まって、ぬくぬく過ごす季節到来。


・・・我が家には近代的な暖房らしき暖房がない。炬燵と石油ストーブ。
温風ヒーターとて石油式。まだ石油は用意していないので、
必然的に炬燵さまさまの週明けとなった。
そして、週明けから炬燵猫で過ごしてしまった。
我が家は夜、私が炬燵猫と化して物思いに包(くる)まる。

おやすみ モーフィ 岡尾美代子の毛布ABC (クウネルの本)

おやすみ モーフィ 岡尾美代子の毛布ABC (クウネルの本)

スヌーピーの安心は親指と毛布

スヌーピーの安心は親指と毛布


この11月、自分を振り返れば、家族それぞれの病気に対して、
何とか乗り切ってきたという感謝と安堵の気持ち。
「様子を見ましょう、まず3年」の節目の年に苛立ちと不安は募ったが、
今の状態に感謝しなくては罰が当たるだろう。
母に関しても、強い薬を使うことなく今の状態であれば。
父も高齢ながら矍鑠(かくしゃく)。
娘も元気。マタニティスイミングの頃から、お腹の中でも泳ぎ、
ベビースイミングでも、水泳教室でも泳いできた。
何事にも体が資本。健康はお金では買えない。


物思いに包まる。自分自身のことだけではなく、仕事の事も、
旧知の友人達の近況についても。
一つは嬉しい知らせがあり、一つは悲しい知らせ。
何でも対になって来る訳ではないけれど、人生ってこんなもの。
悲喜こもごも、人生万事塞翁が馬と言うけれど、
本当にわからない、こればかりは。


3年前、死んだ気持ちで生きていこうぐらいに思いつめて、
諦めて、その日が来るまで思い出作りに励もうとした。
[悲観的過ぎる」と主治医が言っても、
所詮、他人の言葉だからと逆恨みもした。
家人の病状の安定、急性期を乗り越え慢性管理の今、
まるで何事も無かったかのような穏やかさで日々は過ぎる。
後どれ位? 不安は残るがこの毎日に感謝しなくては。


寝たきりどころか、まだまだ自分で食事も風呂も大丈夫な両親。
意思の疎通は難しいことが増えて来ているけれど、
お年寄りというものは、こういうものかもしれないと思えば。
私はとても恵まれていて、病院の付き添いだって知れたもの。
眦(まなじり)を決して、血眼になって介護に奔走、
そんな日々を過ごしているわけではない。
ため息をつくことは多々あれど、恵まれた日常。


対照的に私の親友達は、この三年の間に次々と両親を失った。
再発した癌で、長い闘病・通院の末に、老いて避けられない病ゆえに、
様々な病気で倒れる親御さんの話。そしてまた、思いがけない怪我で、
親の命のやり取りを看取ることになった友人。
病院にも全く縁がなかっただけに、青天の霹靂。
家人が病に倒れた時、親友達が集まってくれたあの頃から3年。
私は誰も失ってはいないのに、友人達は違う。
家人も私も親も入退院を繰り返したというのに、誰も失ってはいない。
人生とは皮肉なものだ。


友人達から、「病院ではどうすればいい?」「どこに相談すれば?」
「医師には何を訊けばいい?」など立場は逆転。
人ごとではなく、私自身知らないことわからないことの方が多い。
大雑把なことしか伝えられないのが実情。
僅か3年間の間に色んなことが変わってしまった。
保育園だった娘が小学校3年生になったその間、私達の世代は、
親の背中が小さく見えるどころではなくなって・・・。


仕事は・・・実質、今までやって来た事とは専門外になってきたけれど、
ある意味、新しい専門分野に突入したと思えば、腹も立たない。
まだまだやれることが一杯あった、開拓したと思えば。
それに付随する辛さしんどさは当たり前のことだからと割り切れば、
それまでのこと。何も出来ない手持ち無沙汰ではないのだから。
給料面ではなかなか納得できないけれど、ね。


さて、悲しい話題ばかりではなくて、先日の知らせ。
私とは異なるけれど、お連れ合いが病を克服、復職した途端、
年下の友人はめでたく懐妊、結婚して約10年。
待望の子宝に恵まれ、喜びもひとしお。
まあ、私が結婚した年齢で産むのだから、まだまだ大丈夫。
娘のベビーベッド、その他の思い出の品々はこちらへ。
来年の春先に向かって、あれこれ打ち合わせは弾む。


私がブログを書くようになって2年と3ヶ月余り。
ブログの中でも悲喜こもごも、冠婚葬祭が続いている。
この秋は読書の秋と言うよりも、物思いの秋、
仕事と家事の合間に、年齢と責任を感じ、ため息。
夜半炬燵猫と化して転寝すれば、異郷へ旅立つ人を見送る夢。
夢の中の斎庭(さにわ)は白く輝き、紺碧の空は眩しい。
目覚めて言葉を紡ぐ朝。

感謝のしるし

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この気もち伝えたい

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神の国 ネパールヒマラヤ

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