Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

写真の中の小宇宙

時々短歌を詠んでみたい、そんな心境に駆られる。
ごく、たまにだが。滅多にそんな気持ちになれないのが日常。
何故、詠んでみたくなるか。それは、触発されるから。
何かの出来事に。最近では特に写真の中の景色に。
もうあと1ヶ月で今年も終わりだから、幾つも歌を詠めそうにない。
何か揺り動かされるような感動は、言葉を勝手に連れてくるので、
苦吟して搾り出す必要がないから。


今のところのベストは、尊敬するnamiheiiiさんのブログ、
夏の日の一枚の写真に心惹かれて、思わず読んだ一首。
どんな写真家はこちらをご覧下さい。http://namiheiii.exblog.jp/7245627/


桃色の淡き螺旋の小宇宙 我が心放つ階(きざはし)となれ    寧夢


そう、心の中の小宇宙にこもって静かに過ごしたい時が増えた。
しかし、なかなかそういう時間も持てないし、そういう場所もない。
だから写真の中に閉じこもってみたりする。
今回は紹介したい写真集と、美術館の御話。


もしも、私のブログにアクセスすることがある人は、
たびたび私が美術館や博物館に出かけているのをご存知のはず。
ある時は年端も行かない娘を連れて、ある時は家族で、
たまには一人で、ふらりと、計画的に、半ば強行軍で、
私が心の中の小宇宙と出会う、彷徨う日々を送っている事を
うすうす感づいておられる方もいらっしゃることだろう。


そう、人を相手にする仕事をしていると、とても疲れる。
というか、若い頃のようにすぐに回復しない体力にも引きずられ、
疲れが尾を引いて、心の中が濁っていくような物憂さにとらわれる。
何がしかの疲れや憂い、物思いなんて誰でも引きずりがちなもの。
若い時から心の持ちようが大きく変わったわけでもなんでもないが、
とにかく「距離をとる」為に必要なこと、
少しでも「脱却する」ためには、安易な手段かもしれないが
昔は読書と音楽と映画と海外旅行、美術館と博物館巡りが相場。


そんな私が生まれて初めて行った美術館が、記憶にある限り
幼い頃、親に連れられていった美術館、正木美術館
大阪は泉州にある、知る人ぞ知る小さな美術館。
残念ながら、その時しか行ったことのない美術館。
でも、忘れられない思い出。
その美術館と、先日写真集の中で再会した。
間接的な、更に間接的な出会いだが。

特別な場所の特別な時間―京都によみがえる禅・茶・花

特別な場所の特別な時間―京都によみがえる禅・茶・花



先日図書館で見つけた本。何ともゆかしい題名。
『特別な場所の特別な時間』小さく、正木美術館 四十周年記念とある。
何て懐かしい名前。子どもの頃、一度しか行ったことのない美術館。
父親に連れられていったのだと思う。
どうしてそういうところに行ったのか、未だにわからない。
何故ならば、父親と美術館に行った記憶など、後にも先にも無いから。


謡を嗜み、刀剣に興味を持ち、歴史が好きで、『無用の介』を読むために、
少年マガジンを買ってきた若い頃の父。ちゃんばらが好きだったのだ。
洋楽を聴いたり、流行の歌を歌ったりすることなど一切無く、
観世流の謡一筋。若かりし頃の父の求めたものは何だったのだろう。
一介のサラリーマンとして、
後に単身赴任者として生活を共にすることもなくなった、
そんな父と出かけた数少ない思い出の場所が、正木美術館。


小学校2、3年の頃だから、開館当初だったのだろう。
難しい字を書いたものが沢山ある。掛け軸に絵が描いてある。
その程度の認識しかない私だったが、静謐な佇まいの居心地の良さ、
そういうものを肌身で感じ取った最初の経験は、この場所だった。
書画の何たるかを知らず、歴史の裏表の面白さも知らず、
芸術はおろか、茶道も華道も日本の文化について何もわからず、
浜辺を駆け回って遊んでいただけの日々。
当時は埋め立てが始まっていたとはいえ、ささやかに海が残っていた。


そんな昔の思い出と直結する、浜風の名残のする正木美術館。
大阪の南郊、泉北郡忠岡町にあるこの美術館の企画は、
開館四十周年の記念として、収蔵品を館から出し、元の場所、
本来あるべき場所へ返そうという企画を立てた。
これは、なかなかできない企画だ。


「特別な場所の特別な時間」何百年の時を経て、作品をゆかりの場に
里帰りさせようという試み。作品を展示ケースから解放し、
本来見るべき形で鑑賞しようという試み。
美術館が築き上げた信頼関係と、作品の存在意義を理解し愛する人々の好意で
実現した夢のような試み。
興味がある方は、是非この本をご覧下さい。


ツアーが始まったのは、今年の1月29日。
京都の酬恩庵(一休寺)に「一休宗純と森女図」が帰る。
1月31日。同朋衆能阿弥の描いた蓮の絵が、銀閣慈照寺に帰る。
彼の仕えた足利義政の元に、義政の書斎同仁斎に蓮図が飾られる。
2月1日。「千利休図」が、武者小路千家祖堂濤々軒に帰る。


このようにして里帰りを果たした作品が、あるべき場所で輝きを取り戻す。
その瞬間を、禅・茶・花、三つの側面からまとめた写真集。
甦った中世、過去から今、今から未来へ受け継がれていく文化遺産
今は少しはわかるような気がするようになってきた、水彩画や墨蹟。
小学校低学年の頃から今までかかって、私の中で忘れ去られていた、
正木美術館の思い出と、この記念誌は静かにリンクして、
私の手の中で、小さな小宇宙を展開する。


生けられた花に、そこで立てられる一服の茶に、
共に味わう一期一会の時間に、至福の時を感じる。
私が長じてのち、中学生の頃から足しげく京や奈良の美術館・博物館、
様々な展覧会に通うようになった、その一番最初の記念すべき、
正木美術館の四十年を刻んだ本に出逢った。


だから、私は二重の意味でこの本を開ける。
思い出の扉を開け、思い出の地に出かけ、そこから更に里帰りの旅をする、
作品を辿りながら、中世を旅する。歴史という時間の中をたゆとう。
その一瞬、憂さを忘れ疲れを忘れ、自分の中の扉を開ける。
そういう離れ技をもって、昨日今日を明日に繋げて生活者に戻る。

水墨画・墨蹟の魅力

水墨画・墨蹟の魅力