Festina Lente2

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ミニ講演会

文学部を出た人間としては、『本の楽しみ』と題された講演、
これは聞かずばなるまい、まして旧知の講演とあれば。
それにしても何年ぶりだろう、直接会うのは20年ぶりぐらい。
奥方も勿論存じ上げている。お互いペーペーの頃を知っているだけに、
懐かしい思い一杯だ。前に陣取ってみれば、越えは若々しいものの、
鬢も白く老けて、かつての黒髪の青年の面影をしばし探した。
それでも、向こうも知った顔の私がいるのは話しにくかったか?
気合が入ったか?


それは勉強会というには小さな集まり。しかし、現場を知る人間にとっては、
色々刺激される話題であり、内容。リフレッシュと同時に、妬ましい、
羨ましい世界の話題ではあるのだが。
何しろ、遣り甲斐という点から見ても、プレッシャーはあれど、
反応が直接返ってくる世界の話。
糠に釘のぬかるみの中で、手ごたえの無いルーティンワークを繰り返すのとは違う。


ましてや読書を楽しむではなく、本をどのように楽しむかというアプローチ。
若い世代に、自分の子供と同じぐらいの若い世代に数年に渡って、
アプローチすることができるというのは楽しいことだし、
それはある意味、特殊な集団。元々読むことに抵抗の少ない集団。
それがなんとも羨ましい。そして、色んな反応を同時に確かめる事が出来るのが。


そして、本を楽しむ上で世間一般に思われているのとは異なる意見を耳にし、
思い当たることもあり、気付かされる事もあり・・・。
本当に久方ぶりに会う彼の話の中に、かつて若い頃の彼の片鱗と同時に、
専門家としての彼の矜持を改めて見出し、
父親のように優しく見守りつつ期待をはぐらかされ失望したりする、
感情の揺れを見る事が出来て、お互いが親としての視点を持ちながら
仕事をしている事を実感した次第。
(差しさわりがあるので、詳しく内容を書き記すことは出来ないので、
 あしからず)

読書入門―人間の器を大きくする名著 (新潮文庫)

読書入門―人間の器を大きくする名著 (新潮文庫)

日本を教育した人々 (ちくま新書)

日本を教育した人々 (ちくま新書)

一般的に、世間の人々は読書好きであることと、
書く事が比例しないと思っている。
というよりも、読むことは楽だけれど書くことは難しいと思っている。
おまけに、読書力を付けるために、読書ノートなどの記録や感想文、
そういう物が当たり前に必要だと思われている。
しかし、えてして学校現場では評価の対象になりがちな、
そのような方法は、かえって自由な読書を妨げるという内容。
これは納得できた。


私自身は、読書記録を付けた事もなければ、
宿題以外の感想文は書いた事もなければ、
小学校時代の読書は興味本位で手当たり次第、
テレビやラジオのお話番組も好きだった。
制約なく楽しめるという背景があって、いつの間にか
色んなジャンルの読書に通じていく基礎を小中で固めたと思う。


今の子供たちは朗読が新鮮、ある意味必要。
おしゃべりは好きでも人の話を聞くことができない子供たち。
耳から入ってくる物語に耳を傾ける、
それは炉辺で大人がしゃべる昔物語に何となく耳を傾け、
繰り返して聞くうちに、おのずと聞き取り後からが付き、
想像力や言語能力が身についていくようなもの。


朗読が好きな私。声に出して読む事も、聞く事も。
娘がラジオから流れる『最後の一句』『孤宿の人』も
興味心身で聞く事を思うと、読み聞かせる力のあること、
聞き取ることの楽しさを、改めて持ち続けて欲しいと思う。
これから色んなことに毎日の時間は切り取られていくのだろうけれど。


ひたすら聞くこと、味わうこと。
批判されたり評価されることなく、
感想をいちいち述べたり書いたりせずに、
ただ味わうこと。余韻に浸りながら干渉すること。
この蓄積が許されている子供がどれくらいいるだろう?
そして思春期、中学から高校まで、
充分な国語教育の時間を確保されている子供が、どれほど?


読み、書き、味わう。その和歌に、詩歌に、小説に挿絵を付け、
フィクションの世界に遊ばせ、足を運び舞台に佇ませ、
その感慨を文章にさせ、拙いながらも足跡を辿る、
先人に思いを馳せる、今はわからないまでも耳から触れさせる、
目を通しておく、その積み重ねの過程を、
言葉を楽しみながら、物語をリメイクする、自分のものにする、
その換骨奪胎の過程を内包する時間を、想像力を働かせる余裕を、
充分保障された中で、本を楽しむ術を身につけていく子供たちが、
どれほどいるだろうか。


そして、その過程に心血を注いでいる彼のようなアプローチを、
娘の母である私は、胸を熱くして耳を傾ける。
自分が忘れてしまっているそういう世界、
親として這えば立て、立てば歩めで見守ってきた、
あの成長して行く娘のありのままを受け入れていた当時の気持ち、
それを今再び、家の中で持たなければ。


教える前に見守る時間。外で身に付けてくるのではなく、
家の中で、(学校なら学内で)出来ることに集中させる、
そのためには・・・、その場にいる大人の力が試される。
結局は・・・。学校でも家庭内でも見守る人間の力が試される。
「本の楽しみ」と言いながらも、
その楽しみを知る人間が側にいてこそ、ある程度の事が保障される。
ちょっと、しみじみ。


彼の取り組んできた実践に聞き入りながら、改めて、
毎日が、家庭生活さえも実戦、いや実践なのだと、
何事においても、・・・。
そして、回が果てて久闊を叙して、プライベートな会話。
意外な話も聞かされた。それはまた、次回。

山月記(三木眞一郎、小西克幸朗読CD)

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