Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

するか、しないか

何しろ耳が痛い。自分の好きなことは誰でも出来る。
しなければならないのに、できないこと。ではなくて、
しようとしないのだ、したくないからしないのだということを、
わかっていながら、手をこまねいている、自分。
そんな自分に苛立ち落ち込み、忸怩たる物思いに耽る。
全く時間の無駄だ。


毎日の生活の中には、したくなくてもせざるを得ないので、
実行しているものがごまんとある。その「質」が問われると胸が痛くなるが。
とりもなおさず、とにもかくにもやってみましたレベルでは仕事にならない。
それがわかっていながら、するかしないか、
自分で決めているか、流されているのか。
その部分が、何とももやもやとしていて、哀しい。


「したくないからしない」子どもじゃあるまいし、素人。
だから、仕事に関してはぶつくさ言いながらも、泣き言や文句をこぼしながら
不言実行できるほど聖人君子じゃない自分ですから)やりおおせている。
それが実情。しなければならないと割り切って、サクサクとできると、
もう少し人間としてのレベルが上がるだろうに、「サクサク」までの道は遠い。
こと仕事に関しては、「ねばならぬ」で意気込むことも出来るのに、
自分の健康の事になると、どうして手が付かない、気が付かない、何も出来ないのであろう。
                 
             

     
何もしていないわけではない。それなりに気を遣っているが、実を結ばないものもあれば、
無理があったり、不可抗力だったり、全く足りなかったり。その相乗効果で、
生活習慣の「原因と結果」が成り立っている。
高血圧と糖尿病は家系、インシュリン抵抗が何チャラという、太り易い体質。
見た目よりも問題な内臓脂肪。ストレスから来る様々な影響。


インディゴで染められた胃の内部、嚢胞の空洞が何を意味しているのかちょっと不気味な腎臓、
この1,2年、役職が付いてから真っ白になった肝臓。ストレスで食いしばるのか、
歯軋りも無いのに、モノを食べている途中で縦に割れる歯。いつひびが入っているのか。
首の太さより気になる、つまむとなかなか元に戻らないたるんだ皮膚、
おまけに首に皺が出て来るとは・・・。こんなふうに老けていくとは。


娘が幼いので、気ばかり若く生活してきたけれど、
同級生達には孫もいる。なんてことない、スタンダードからずれているだけ。
それは構わない。自分の人生だから。でも、その時自分の人生は、
どこまで、誰に、影響する? 自分だけの問題ではないのに。

偶然を生きる思想 「日本の情」と「西洋の理」 (NHKブックス)

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人間の境界はどこにあるのだろう?

人間の境界はどこにあるのだろう?

家族、親戚、家人、娘、これまでのこと、これからのこと、
仕事、同僚、仲間、どうやって、どんなふうに、
これまでのこと、これからのこと、複雑なえも言われず複雑な、
ややこしい、整理し難い様々なこと。
整理し難い? したくない? するのが難しいだけの問題?
感情のこじれ、約束事、ルール、業績、確認事項、何がどこで交差しているのか。


そしてその中に自分は1本筋を通してやっていけているのか。
何かビジョンがあって、具体的に行動しているのか。
それを思うと、本当に虚しい。
この仕事の次に何を、趣味ではない何を、自分の求めている何を打ち込むというのか。
やるのか、やらないのか。今の場所をよりよくするためになのか、
全くの新天地を求めてなのか。


やるか、やらないのか。やりたいのか、やりたくないのか。
怖くても辛くてもやらなくてはならない事を、仕事ではするというのに、
自分の周りのことに関して言えば、何がどうなっているのかさっぱり。
騙し絵の中に隠れこんで、もぐりこんで、紛れ込んで、
わからなくなってしまえの心境。後は野となれ山と慣れの心境。
そんないい加減で仕事は出来ないのに、こと自分関連の御粗末さ。


体のメンテナンスか、心のメンテナンスか? 家族関係、親族関係、交友関係、
経済的、社会的、物理的、心理的、身体的、一体何からどう責めていけば。
やるかやらないか、二者択一なのは何故? やろうとしている、でも、
まだ手を付けていないのは、やりたくないから?
やり方がわからないから? やってみて挫折したから?
何が本当なのか、このトシになっても迷うとは。


子どもの頃、もういい加減に半世紀近くも生きてくれば、
迷いはあってもきっぱりと『あるべき姿』『取るべき手段』を判断基準に、
潔く生きているものだと思っていた。実に勝手な理想的空想だった。
相変わらず、迷ってばかり。立志・而立・不惑・・・、
もうそろそろ天命を知ってもいいはずなのに、知命には程遠い。
耳順、そういう年に娘がまだ成人していないというのが哀しい。
矩を越えずというほど常識人でいられるかどうか、
却って呆けて子どもに戻って、暴れ回っているかもしれないし。


運動をやめた10年間。子育ての10年間。転勤して体を壊した5年間。
(実は転勤するまで人間ドックに行った事は無かった)
引っ越し、転勤、引っ越し、転勤、
こんなもの、私たちより多い家庭は幾らでもある。
10年間で三つの家、家人は4つの職場、私は2つの職場。
娘は生まれて、保育園へ、小学校へ。習い事生活へ。
親は老いて、入院して、手術して、忘れて行って。
当たり前の、人間としての毎日、日にちの生活。


泣いても笑っても当たり前の生活なのに、そんな中でも贅沢な選択肢。
やるかやらないか。やらなくても済む何かが残っている。
それしかないという選択肢ではない、せっぱ詰まっていない甘さ、
ゆとりではなく、甘えが自分を害しているのだ。
そう思える時、如月の朔日が立ちはだかる。
如月朔日に我が身を映し振り返れば、
その姿は目に眩しく、その言葉は耳に痛く、その思いは胸に切ない。
限られた時間、1年で最も短い月の始まり。


きちんと生きることも、行き切ることも、念頭に置けぬまま
海月の毎日。漂うばかり。流されたくないと思いつつも、
現実は海月の日々。
こは、いかに。

アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈―臨床行動分析におけるマインドフルな展開

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西行 月に恋する

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