Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

知命の誕生日

職場のいつもの朝。
先週、朝っぱらから新人の誕生会に目が点になったが、
本日、「お誕生日おめでとうございます」との言葉と、
手作りチョコケーキを一回り下の後輩から頂いた。
朝っぱらから誕生会の仲間入りか!? 私も・・・。
先輩諸氏からも「おめでとう、とうとうこちら側にやって来たね」
と笑われ、からかわれ、「同い年になったね」等と言われたり。
お陰様で終業間際、みんなで有難くティータイムを。
もちろん娘の分は切り分けて持って帰った。
え? そうです、焼いていただいたのはこれ!


先輩はクリームも欲しいなと贅沢を言う。
しっとりとして甘過ぎず、疲れを癒すケーキに、
思い思い紅茶派・コーヒー派。
それぞれ一息入れて、仕事を片付け始める。
このところ不夜城とあだ名される我々の仕事部屋。
おやつが絶えないコーナーで、ケーキで寛ぐ贅沢。
大台は嬉しくないけれど(きりのいい数字ですが)、
周囲に祝って貰えるのはいいこと。


知命の誕生日。
母の顔を見に行く。「お母さん今日は何の日か知っている?」
不思議そうな顔をしている。やっぱりなぁ・・・。
「今日私の誕生日なんだよ。」「幾つになったの?」
「幾つになったと思う?」「さぁ・・・」
生まれた年と今年を教えると、紙に筆算を書いて引き算。
計算している母・・・。そして、驚いた声で、
「もうそんなになったの!?」「そうなのよー」

いいことがありそう!

いいことがありそう!



母の言葉が傑作。
「昔はおばんちゃんになったって言われる歳だけれど、
大丈夫、まだまだ若く見えるからね。」ですと。
ちょっとボケボケの母に慰められてしまいましたよ・・・。
それでも、娘に気を遣ってくれている母の発言が嬉しい。


父の誕生日と私の誕生日を一緒に祝って外食しようと思っていたけれど、
両親とも出たがらない。平日の誕生日、お料理を用意する暇も気力も無い。
出来合いのお寿司を頬張りながらの夕食。出来合いケーキに加え、
職場から持ち帰ったチョコケーキを味見して貰う。
ささやかな家族の時間。離れている家人がいないのが寂しい。


・・・プレゼントが届いていた。曰く因縁つきのプレゼント。
去年結婚10周年の記念も無く、クリスマスプレゼントも無く、
拗ねていた私の為に、家人が用意してくれていたもの。
スィート・テン・ダイヤモンドというレベルではありませんが、
こういうものを頂いた。実用品ですが、素敵です。
ちなみに以前からエコドライブで電波式時計が欲しかったので。
この手のタイプで日付が出るようになったのは、最近。


誰ですか? 若過ぎるデザインだーなんて。
いいのいいの、かわいらしく若やいで仕事するんだから。
ちなみにこのシリーズ、昨年からチェックしていた。(笑)
篠原涼子が宣伝しているのは知らなかったけれど、
コンセプト等時計の詳細はこちら
私は時間にうるさいタイプではなくて、どちらかと言うとのんびりや。
タイプAに間違われそうになるけれど、基本的にはぎりぎりにしか動けない。
余裕を持って準備万端整える、ということができないタイプ。
元々「間に合えば大丈夫」というのんびり?屋なので、
結果的には置いてきぼりにならないよう、あくせくする羽目に。


だから「ゆっくりいそげ」でいきたいと常々思っているのに、
我ながら、着実というよりは単なる「かめ」だなあと、
落ち込んでしまうことも多いのですが、でも、
そんな私もよる年波というか、年月だけは平等にやってきて、
それこそジャストタイムで来なくてもいいような気も。
うーむ。むっつり。


あと残り10年。長いようで短く短いようで長い10年。
不惑の私にとっての最大のプレゼントは、妊娠出産だった。
この10年、成長した娘はお茶を入れてくれるようになり、
「仮眠を取ってから仕事するんだよ」と声を掛けて、
一人で入浴、眠るようになった。
そんなに急いで歳をとらなくてもいいのに、子供の成長は早い。
高齢出産の親が歳を取るのも早い。全くもって面目ない。


だからこそ、今まで以上に意識して
一緒にいられる時間を大切にしよう。
家族に残されている時間を大切にしよう。
何時までも続く幸せが無いように、人生はアップダウン。
確かな時を刻んできたと実感できるように、
笑顔で過ごせるように、努力して、感謝して、
できるだけ前を向いて歩こう。


え? プレゼントのケースが3つあるのにって?
後は「おまけ」なんだそう。家人曰く。
おまけって言うのはおまけで買ってくれたのか、
お店のおまけなのか、どっちのことなのでしょう。
ちなみに、一つは腕時計のロゴが入った傘だったのでおまけ。
もう一つはアラームの付いた電波式時計(電池式)。


何で時計が二つなんですかねえ・・・。
そんなに急いで歳を取る気も無ければ、
目覚ましがないと起きられないような生活をしているわけでもないのに。
(どちらかというと過覚醒でなければ、早朝覚醒なのに)
まあ、昔は人生50年と言われたものでしたが、
自分が知命の歳に至っても天命を知るほどの人生を送っていない、
平凡な人間だいうことを実感する日。
だからこそ有難いなあとも思える日。


親から頂いた命を有難いと受け継ぎ、娘と共に、
家人と共に、家族で生きていく。
家族があって住む所も仕事もある。
当節恵まれた環境にあることを、意識する、
天命などという大それたものではなく、
命の素晴らしさを改めて思う、知命の誕生日といたしましょう。

知命と立命―人間学講話

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