Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

いい加減なマイペースで

何事も自分の期待にも周囲の期待にも沿うように、
滞りなく進んでいけばいいが、そういうわけにはいかない。
でも、毎日のスケジュールだけは決まっているので、
期限までに何かを仕上げなければならないから、どうにかこうにか、
こわばる手足をどうにか動かすようなぎこちなさで、
ある意味慣れた要領で適当に捌きつつ、仕事はこなす。
片付ける、どうにか体裁を繕う、形に仕上げる。
そんな感じで1週間が終わろうとしている。


若かりし頃、ずっと昔ずっと以前は、
自分よりも若い世代がが悩んでいたように、
自分の殻の中に閉じこもり、自分の不甲斐なさ、出来の悪さ、
才能の無さ、実際それ以前の問題で息も絶え絶え。
やる気も責任感もどこへやら、やせ我慢のプライドだけが、
空きっ腹に堪えるような、そんな思いばかりに囚われていた毎日が、
変われば変わるもの。


かつて抱いた忸怩たる思いに、がっくり打ちのめされることがあっても、
劣等感でずたずたになっても、いつまでも打ちひしがれ落ち込んで、
復活できない・・・というようなことが減ってきたのは、嬉しい事実。
年を取るってこういうことだったのか。悩んでも苦しんでも、
ある程度まで来たら同じ、もうここまで自分は年を取ってしまった、
いまさら「もしも」「仮に」なんて無い人生で半生以上過ぎた。


だから人は人、自分は自分、無いものねだりはしない。
熾き火の様に隠れた深い所で燃え盛っている思いがあっても、
それで身を焦がして火傷して息も絶え絶えになってしまったり、
あっという間に燃え尽きて消えてしまうことも無い。
人生の後半戦は、というか、平均寿命から行けば娘を授かった時点で、
既に後半戦に突入しているのだが、だからこそ、
仕事の上では悩みも苦しみもあるけれど、
「枯れる」には早いけれど、醒めて距離を置き、
角度を変えて見ている部分が増えてきたような気がする。


まあ、そういう考え方もあるけれど、けれどね・・・。
一息ついて、仕方が無いね。そうかもしれないね、と。
突き放してみても始まらない、猛り狂ってみても始まらない。
いきり立ってみても、その先が見えてこないのであれば、
単なる感情の爆発で終わってしまう。
もちろんガス抜きは必要だけれど、
いつまでも噴火し続けるというのも芸が無い。
そのエネルギーを別の方向に持って行くことに目がいく。
というか、この年齢までくれば持っているエネルギー、
資源が限られているから省エネ。


ある人にとっては培ってきた技術・人脈・ノウハウの全て、
私であれば何なのだろうか。狭い蛸壺のような世界で、
管理職の覚え目出度い職務か、管理職に準じる形で動かなければ、
仕事の裁量も奥行きも限られたこの世界で、省エネというのは、
後ろ向きに仕事をしているような誤解を受けかねないが、
余力を残しておかなければならないと痛感することも増えた。
幸い、慣らし運転並みの「こなし」で、
新任の頃の「フル」に近いことができる部分も、まだまだある。

自分の仕事をつくる

自分の仕事をつくる

片目を失って見えてきたもの (文春文庫PLUS)

片目を失って見えてきたもの (文春文庫PLUS)


昔取った杵柄、習うより慣れろ、果報は寝て待て、
あ、これは違った。
とにかく、今まで培ってきた財産・貯金があることはあるが、
貯めることをやめ、投資することも止めて、
したいことだけするというわけには行かない。
切り売り、食いつなぎの貧乏はしたくない、
風流な筆で「売り家」と書く羽目にはなりたくない。


仕事も然り、何かにつけてそうなのだろうが・・・。
本当に量をこなすのは、集中力がどうこうということよりも、
体力勝負なのだなあとしみじみ実感させられる今日この頃。
私は日本のミツバチだもの・・・。ふと新聞記事を思い出す。
西洋ミツバチのように、一つの花の蜜だけをガンコ職人の専門職。
コツコツと集め回ることはできなかったけれど・・・。


私は日本のミツバチだもの。色んな花の色んな蜜の味を覚えてきたでしょ。
それなりに様々な経験、深いことも浅いこともそれぞれ。
色々な場所、様々な書物、大勢の人々、共有する時間、
出会いと別れ。巣立ちと巣分かれ。
それで仕事して食べてこられたでしょ。
しなければならないことをするのがプロ。
したいことばかりはでは済まない。


山あり谷ありだけれど、家族も養うことができている。
象牙の塔に棲むこともなく、魚も棲まないような清流に流されることもなく。
頑固だわがままだと言われながらも、それが私の生きる道♪♪♪
そうやって自分を出さないと、出る杭は打たれながらでも・・・。
杭の役目の時は杭、定位置死守なのか可動式自由奔放OKなのか。
きっと、誰もが与えられた運命、天職、自分の生き方を、
認めたい時もあれば認めたくない時もある。


花火のように生きるのか。細く長く続くことが大切なのか。
一生を同じ価値観だけに縛られて生きていく時代ではない。
信念はずっと持ち続けていくのだろうけれど。
だから、年齢が優しく諦めることを、見限るのではなく、
わきまえることを後押ししてくるように、
自分が見聞きすることのない未来の領域に踏み込んでいくだろう、
若い人の快挙を、得も言われぬ気持ちで眺める。
こういう人生、こういう生き方もあるのだと畏敬の念と共に。


実際どう? 人に必要とされているかどうか気にするような神経が、
麻痺してきていない? やること、やるべきことだけをするのだと、
本当に頑固一徹職人になっていない?
打たれ弱い西洋ミツバチではなく、日本ミツバチでいる?
本当にちゃんと日本ミツバチで仕事している?
自問自答しながら、週末。ふぅ・・・。

仕事と幸福、そして人生について

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仕事の見える化

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