Festina Lente2

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フレームが必要?

時々なるほどと思うと同時に、こういうことも話題になるのだと、
それ以前にこういう話もお金を取れる内容なのだと、
改めて気付かされ、驚き、呆れ、時には感動し、
何かに憑かれたような気分になることがある。
というのも、当然知っていてわかっていて当たり前のことなのに、
それがさもオオゴトであったり、再認識すべき事柄だったり、
自覚を促されたりすることだ。


自分が全く同じ内容を話し続ける自信は無いから、
そのことを話題にして話す人間を、なるほど、こういうふうに
話というものを組み立て、人々の前に披露し、
一つのカリキュラムとして提示することが可能なのだ、
これがこの場での学びのスタイルとして提供することなのだ、
そして、そこから自分が何を得るかは自分次第であり、
企業にとって望ましい行動を取ればエントリーしたと前向きに評価され、
積極的に関わろうとすると、ミッションに対して前向きだとみなされ、
要は、提供される一つから複数のプログラムに巻き込まれる形になり、
組み込まれていくわけだ。


ことと次第の度合いによっては、積極的な学び。
消極的な洗脳。意図的な仲間作り、配置換え、選別。
群れの多様性を認めているようでありながら、実は明確に差別化する。
各自の自覚・能力・意欲を以て自主的な序列化を促進する。
研修という名目の元に、トレーニングという反復練習の影に、
巧みに織り込まれたプログラムを一瞬のうちに垣間見る。
自分自身が、周囲の他者がぱらぱら漫画の1ページの主人公。
似たり寄ったり大なり小なりの存在が、繋げてみると一つになるように。


アニメーターが絵に心を吹き込むように、誰かに操られている。
自分の意思で動いてるように思える、そう自覚させる、
その目に見えない時空間の中での達成感、
そういうものではないかと警戒しながらも、火に集まる蛾のように、
何故また研修場所に来るのだろうか。
そんな皮肉な気持ちが久々に掻き立てられたのは、理由がある。

精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)

精神科医は腹の底で何を考えているか (幻冬舎新書)


忙しいから休みが取れないのと理由に、
「倒れてのち止む」の勢いで仕事をして、「止む」ではなく、
「病む」ことを無意識のうちに願っているならば、何と不幸なことだろう。
休みを得るために、自己犠牲しなくても済むように、
持ち出しで苦しくなる前に、自分をどこかで解放しなければ、
何時まで経っても、オリジナルな自分になることができない。
自分らしい時間を持てない。


カウンセラーや医師でなくても、どんな仕事をしている人間でも、
誰かが自分を止めてくれるのを待って、無茶な仕事をし続ければ、
壊れて当然。そして休息? それはありえない。
自己管理が出来なかったことの言い訳?
仕事に追われて追われて追われて、気付いた時には
自分ではフォローできない状態に陥っている。
身体が動かない・・・そういう苦い経験を繰りかしたくないから、
出来るだけ気を付けている。
(それでも失敗してしまい、落ち込むことも多いけれど)


睡眠時間を増やすと、仕事がたまる。
その仕事の仕方はどこかおかしいのだと気付いていても、
改善できないままずっと来ているのだとしたら、
見直しが出来ていないことになる。
健康を維持しながら仕事をすることが当たり前、というか、
紺屋の白袴ではあるまいし、何故、今日今更のように、
「血液検査」を受けて、「規則正しい時間に食事」の話?


苦笑いする。子どもがいれば、家族がいれば、
仕事を前面に出して自分を正当化することなど出来ない。
食事を、睡眠を確保することは当たり前だから。
気を付けていても事故や病気が「災難」として降りかかってくる。
そうなった時のダメージを少しでも少なくするように、
気をつける。同じ轍を踏まないように。


「フレーム」を創ろう。規則正しい生活をしよう。
従来の価値観を失って、アイデンティティが失われてしまっている、
そんな今の時代で生き抜くために、まずは自分の足元から、
生活から、食べて眠って起きて太陽を浴びて、
そういう話を研修で聞かされる、聞く羽目になる、
どれだけ不健康な人間の集まりなのだと苦笑いしたくなる。


鬱にならないために、体力を落とさないために、
アンチエイジングのために、活力を取り戻すために、
適度な運動と食事の話。結局心の話は、心を自衛する話は、
ここに戻ってくるのかという感じ。
三度三度、きちんと食べて眠っていられるうちは大丈夫。
「フレーム」などという言葉で生活を見直さなくても、
従来から言われていたこと、当たり前のこと、日々の積み重ねが、
生活習慣が、その人を、その家を、社会全体を支える。


では、今は如何にフレームが壊されてしまっているのか、
失われているのか、再構築しなければならないのか、
また話はそこに戻る。自由や個性を求めて好き勝手した代償を、
付けを、おつりを、どこで支払うか。
無理をしてやり過ごしてきた結果を、どこで突きつけられるか。
またその話か。
苦笑いしながらその場にいる。


温故知新の繰り返し。自分が自分であるために、
人が人らしく生活するために、
今日もまた同じことの繰り返し。
螺旋階段は同じところを回りながら、少しは上向きなのだろうか。

生活習慣とメンタルヘルス―精神科医と健診医の実証的検討

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