Festina Lente2

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七夕の一日

『僕と1ルピーの神様』が本日のメイン読書本。
スラムドッグ・ミリオネア』の原作。
大学病院に行くまで、地下鉄は読書室だ。
運転しなければ、じっと座っていられる。
仮眠も取れる。空調も効いている。
今日の本は面白くて、映画よりもずっと面白い原作で、
一気にのめりこんで作品の世界へ入り込めた。
達者な訳で、リズミカルで、ありていに言えば雰囲気があって。
作品の中に果てしなく広がる世界が生き物となって、ざわめき出し、
刺激的で、地下鉄の中はあっという間に、アグラにデリーに、
そして、タージ・マハールに早変わりする。


限定された映画の映像よりも、ずっとずっと私の心を捉える。
本の中に埋もれて、病院に着いても長い間待たされ、
いつもより待たされて苛々するはずの時間が、久々の集中力持続。
あっという間に午前中で本を読み終わり、
その楽しさと待ち時間に反比例する「短さ」で、
診察は終わる。


嗅覚は戻って来ているけれど、昔と同じように感じているかはわからない。
日々、感じ方、匂いの強弱、細やかな刺激の度合いが変わる。
子どもの頃、もっと最近、何時の頃の香りへの感受性を、
匂いの記憶を基準に物事を考えればいいのか、わからない。
私が握っているのは、小説の主人公のような奇跡を起こす、
魔法の幸運の、実はコイントスをいくら繰り返しても表しか出てこない、
そんな1ルピーでもなんでもない。


壊れた財布の中に溢れるほど入っているのは、病院やクリニックのレシート。
家族分、通院分、内科・歯科・耳鼻科・整骨院にソフトカイロ、
眼科に薬局、パンパンに膨れ上がった壊れた財布の陰で、
1日乗車券が役に立つ今日。
1ヵ月半前のCT画像を再度確かめ、投薬は継続、
世界中がもっと色々な香りや匂いに満ち溢れていたような気がするのは、
錯覚? それとも願望? 人々は鈍感? それとも気付かぬ振り?
私には自分の世界がどんどん希薄になっていくような気がする。


親知らずの神経を取る午後、相変わらず機械は電子音を立てる。
神経の長さを測るってどんな風に?
口をあけたままレントゲン室に歩き、鉛のエプロンをつけて、
診察台と行ったり来たり、何だか歯の1本が、口の中でノヴァを起こし、
口腔内で新しい宇宙を形成しているのではないかとさえ思える。
薬剤刺激で荒れた感覚、痺れる様な軽い痛み。


姓が変わった主治医の、名札はそのままでパソコン画面は変更。
先生がどんどん痩せていたのは、ウェディングのため?
そんな事がちらりと頭を掠める。
天気のせいか、病院の中の空気は柔らかい。
残念ながら、七夕を意識させるものは全然見当たらなかったけれど。
半日以上病院で、ランチは駅前で、あっという間に時間が過ぎる。

ぼくと1ルピーの神様 (RHブックス・プラス)

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スラムドッグ・ミリオネア (名作映画完全セリフ集スクリーンプレイ・シリーズ)

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久しぶりにソフトカイロで、体を矯正してもらう。
左首の付け根から背中や肩に掛けて、鉄板のよう。
診て貰うと、足のふくらはぎの奥に何かワイヤーでも入っているよう。
これだけ難くなってしまったら、筋肉の緊張が強ければ、
早々元には戻らない。でも、ほぐされた背中の一部が、
首や胃腸に向かって筋のように体の内部をひっばっている。
その瞬間、匂いが鋭く戻ってくるような感じがする。


肩こりがひどいと喉の奥の血流も悪くなるので、
匂いを感じるのが今一つになるんだろうか。
首筋を触れると、確実に内臓が引っ掻き回される感じ。
整骨院でも言われる「体の奥の筋肉」が、緊張している。
疲れきっているというのは、運動するしかないのかな。
体全体を調整してもらっているのは私なのに、
いつの間にかワタシは聞き手になっていて、先生の風邪や、
家族の入院、食事の世話、病院の高い注射城代の話などを、
うつ伏せになりながら聞いていた。あれあれあれ?


大学病院に行くまでと、待合室では読書でインド気分。
3ヶ月ぶりにあう耳鼻科の主治医の髪形の変化にあれ?
結婚して姓が変わった主治医の雰囲気の変化にふうん?
ソフトカイロで治療されているはずの私が、
ひたすら聞き手になっているのはあれ?
鄙びた商店街は七夕の出店がぼちぼち出始めている。
丸一日フラフラ通院で夕方。17時半に待ち合わせて書類を貰いに、
家人の会社へ出向き、インド料理をつまんで帰宅。


1ルピーがどこまで幸運をもたらすかはともかくとして、
2時間の映画の強烈な刺激と、行間から溢れる淡々とした生活絵巻、
私にとってはもはや読書時間の確保に等しい、通院のひと時。
痛みさえ激しくなければ、熱さえ出なければ、
単なる慢性管理であれば、病気や体調不良と付き合うのは
それほど難しいことではない。約束事を守るという基本さえ守れれば。


どこかで誰かに語っている、自分の人生を語っている主人公。
ああ、この小説の形式は、日本人向け。どこかで誰かに語っている。
私小説的な、日記風の、告白調の、いわばブログの延長線上にある。
様々なプロットが積み重ねられて、集大成するエンディングは、
細かいパッチワークが大きな模様を作る、それと同じ。
ただ、素人の私達の書き連ねる文章は、同じパッチワークでも、
全体像が曖昧でぼやけていて、綺麗な作品に見えないだけ。
そして私の一日も。


今日、七夕の夜。家人と二人でインド料理をつまみ、
北と南に分かれて帰る。今週は、まだ始まったばかり。
仕事は山積み、毎日は流れるように過ぎていく。
小一時間向かい合って、お互い休憩のような食事。
家人はまた映画を見て帰るという。いいねえ。
『ウィッチマウンテン/地図から消された山』だそう。
という訳で、人生半ばを過ぎている牽牛織女は相別れ、南へ北へ。
七夕の夜。娘はBSで『ウィンブルドン』を見ている。
ピアノの練習もそこそこに。やれやれ。
牽牛と織女は、川の向こうとこちらでどんな家族を作ったんだか。

スラムドッグ$ミリオネア [DVD]

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