Festina Lente2

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日記をつけて1200日目

このところ、とみに遅れ気味な日記だが、
リアルタイムでつけるのとは異なり、
これはこれで、なかなか人の記憶はあてにならないものだと思ったり、
こんなことをしつこく覚えているのだと改めて感心したり、
それはそれで面白いものだと感じるようになった。
タイムラグがあるからこそ比較して考えたり、
その場で書き留めておかなければ忘れ去ってしまっていたり、
思い出そうとしても思い出せなくて残念だったり、
間を空けるからこそ、今まで感じなかった物思いもあると
今更ながらのように思い知らされている。


小学校から高校・大学の最初の頃まで、途切れ途切れに書いていた日記。
高校を卒業して間もなく、小・中の頃の日記を焼いてしまった。
子供の頃の思い出とよほど訣別したかったのか。
今、手元に残っているのは、詩だの散文だの僅か。
日記というよりも、感情の嵐の殴り書きのようなものばかりで、
毎日を記録して備忘録とするという類ではなく、
箴言や金言といったものに憧れはするものの、頭は空っぽ。
もっぱら気に入った言葉を書き写したりするだけで、精一杯。

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫 赤510-1)

侏儒の俳句―芥川龍之介に捧げる箴言集

侏儒の俳句―芥川龍之介に捧げる箴言集

・・・それはそれで良かったのかもしれない。
いまだ見ぬ人々に会い、語ったつもりになり、励まされたと思い込み、
自分なりに何とか心の整理をつけて、座右の銘とまでは行かぬまでも、
心の支えになる何がしかの台詞を胸に、哲学めいた思索の真似事、
無駄と思える物事に時間を費やせる青春の日々。
たわいないと思える雑談や堂々巡りも、必要だったあの頃。
パソコンのキーボードで打ち込むのではなく、
一字一字をブルーブラックのインクで書き記した頃。
万年筆を日記のそばに置き、手にとって逡巡したあの頃。


随分遠くに来たもんだ。そんな台詞を吐いてみたくなる。
それでも、同い年の友人ではなく、いまだ見ぬ誰かの思い、
特別な経験、日常の物思い、さらりと述べられたような意味深な言葉、
芝居がかった台詞、ときめくような甘い囁き、叱咤激励、
初めて知る、あるいは経験が語らせる、様々な含みを持つ言葉に、
文章に、思索の後を追うような込み入った読書に、
行きつ戻りつしながら、線を引き、書き込みをし、書き写した日々。
それが毎日の感情の嵐を収める手段の一つだったあの頃。

幸福について―人生論 (新潮文庫)

幸福について―人生論 (新潮文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)



ブログは当時の日記とは余りに隔たりがあるものの、
(考えずに書いているというか、書く速度が速過ぎて)
日記であることに違いは無い。
感情の嵐とまでは行かないけれど、たまには愚痴も嘆きも。
ハッピーフローには程遠い、マイナスの感情が吹き荒れる事もあるけれど、
忘れたくないこと、ちょっとした物思い、言葉に出しておきたいこと、
一字一句書き記すよりも軽い表現しか取れず、
思ったことを書き散らしているだけに過ぎないけれど、
なるほどね、これが私なのだと思わず・・・。


こんな風に自分との距離を取るのね。取れるようになったのね、
そんな風に思える事もあれば、駄目だこりゃ、幾つになっても青臭い。
直球しか投げられない、融通の利かない馬鹿丸出しの日々。
あるいは懐手して不貞腐れ、口籠もっているくせに煮えたぎっている、
そんな自分を見出して哀しくて笑える。
家族のことで自分のことであたふたとしながらも、
書くことだけは手放したくない、そんな自分は何物なのか。

幸福論 (岩波文庫)

幸福論 (岩波文庫)


かつて友だった人々とは、疎遠というわけではないが、
実生活に押し流され、電話も手紙もやり取りも無く、逢う暇も無く。
便りが無いのは元気な証拠、されど、便りが無いのは必要とされていない証拠。
そんなふうにも思えて、自分自身がぐらりと傾くような孤独に落ち込む。
これが10代の子供ならば底なし沼に落ち込んだ気分なのだろうが、
今の私には、闇雲に連絡など取らずに生きるのが当たり前の大人と、
そう思い込みながらも寂しくて、強く確かな手ごたえでなくても、
柔らかでしなやかな緩い繋がりが欲しいと思うことが多々ある。


転勤前の2年間と転勤後の今まで、つまりROMでしかなかった自分と、
青春時代以来再び少しずつ書くようになった自分と、
この溝を飛び越えさせたのは、緩やかな繋がりを張り巡らしたくなった、
自分以外の世界に向かって緩やかな網を張りたくなった、
そんなセーフティネットを無意識に捜し求めてのことだったのか。
読むことが専門だったはずなのに、自分が書いたり写真を載せてみたり、
そんなふうに生活しているこのスタイルに、多大な時間を割いて、
それに何の意味があると問われれば、
問われれば何と答えよう・・・。


ただ、蒔かぬ種は生えぬ。
点は線になる。
誰かの何かを読み、写し書きしたかつてのように、
私はどこかにコメントを残したくなる。
少しばかり足あとを残したくなる。
見事な写真に、美しい文章に、やるせない思いに、
ほうとため息をつき、息を呑み、深く頷き、
隔たりある距離を一気に飛び越えて、その場にたたずみ、
共に在ることを伝えたくなる。


そして、きっと私は人にもそうしてもらいたいのだ。
そんな私が、今日まで1200日分の日記。
1487の記事。
自分自身に届ける、マイライフクロニクル。
そして誰かに届ける、neimu's クロニクル。
2009年11月11日。私からあなたへ。

新約聖書に学ぶ―聖句講解90 (Sekaishiso seminar)

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西国立志編 (講談社学術文庫)

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