Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

Good Will Hunting ― 旅立ち

今日のBSの映画、この映画は無条件に好きだ。
この映画を観た当時、カウンセリングに関わっていたからだろう。
何かと思い入れの深い、思い出深い映画だ。
まだ、虐待という言葉が学問的に取り扱われている現場に属し、
表沙汰になりかけていた、根深く進行した社会問題になりつつあった頃、
ひしひしと肌で感じる場にいたからだろう。
分析的なカウンセリングは廃れつつも、日本ではユング派の臨床が目立ち、
それでも短期療法派が家族療法派と共に伸び始めていた頃。
家族―個人―擬似家族・・・ 単身家族、単身家庭。
そんな言葉に敏感になっていた頃。


ロビン・ウィリアムズ演じるセラピストが、妻の死という悲しみ、
喪の作業を行えないまま、停滞している。
そして、問題児の主人公のセラビーに時には怒りを、苛立ちを覚えながらも、
優しく受け入れ真摯に諭していく。その情景が好きだった。
単に聞くだけではない、相手と対等に語り合おうとする、
セラピーの定型からは外れると主人公に冷やかされながらも、
感情豊かで人間味溢れるセラピーの、その雰囲気が好きだった。
「君は悪くない(君のせいじゃない)」と何度も何度も言いながら、
泣き崩れる主人公を抱きしめる、その場面が好きだった。


虐待を受けた人間が、稀に見る才能を持っている。
その才能を持つが故に、虐待をされるに至ったのか、
虐待されたまま育てば、その才能を開花させるのは困難ではないか、
どうやって数多くの文献を紐解き、その内容を理解し、
自分のものにしていったのか。突っ込みどころは沢山だが、
文字から知識を学んでいる人間は、主人公以外にもごまんと居る。
色や香りを感じ取れなくても、その場にあったことを知ったような気になる。
それは私たち自身とて大なり小なり同じことだけれど・・・。


失敗を恐れず歩き出せるかどうか、
当たりくじ(人が持ち得ない才能や財産)を持っているのに、
それをどう使っていいかわからないまま、現状に流されていく、
情熱を持って、自分を何かに捧げたり没頭したり愛したりできない。
拒絶され失敗することを恐れて最初から何もしようとしない。
相手を傷つけることがあっても、二度と自分が傷つけられないように、
理論武装して相手を寄せ付けない。


みな、大なり小なり似たような自己防衛をしながら世渡りしている。
ただ、違うのは、凡人は「当たりくじ」を最初から持ち合わせてはいない。
残念ながら哀しいことに持ちようがない。
この映画の救いは、主人公に才能があり、それを理解し惜しむ人間が居て、
自分の取るに足らない才能よりも、彼の才能を生かしたい伸ばしたいと、
心から思い願い、夢を託し、一人の人間として見守ることだ。


主人公を取り巻く大人二人はその個性の違いこそあれ、
中年の危機と同時に、人間臭い葛藤が青年期を経ても何時までも続くいい例だ。
主人公のガールフレンドは取り立てて美人ではないが、気さくで優しく、
頑なな主人公の心を捉えることのできる豊かな個性を持っており、
自分の気持ち伝えることの大切さ、愛することの意味を知っている。
その人間が熟していく過程の中年期と青年期の絡み合いが、
仕事と才能、学問と名声、青春と表裏一体の老いを迎える葛藤、
そういうものがブレンドされていて、観ていて楽しい。


今の私の年齢だから、楽しく見られるのかもしれない。
ある意味、目頭の熱くなる(胸の痛くなる)作品であるというのに、
微笑ましく見てしまう自分がいるのは、何故か。
以前とは随分違った見方をしてしまうなあと感じた今日。
ああ、もしかしたら商業ベースということに嫌悪を抱いている昨今、
天才主人公がシンクタンクや政府・企業をいいようにあしらって、
自分が就職したら戦争に加担することになるからと説く下り、
そんなエピソードが気に入っている?
ベン・アフレック演じるにーちゃんの、ドスの利いた脅迫まがいの
本音ぶちまけ親友のせりふに?
http://blog.livedoor.jp/parrotfish/archives/50744440.html

グッド・ウィル・ハンティング パーフェクトコレクション [DVD]

グッド・ウィル・ハンティング パーフェクトコレクション [DVD]

グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち―シナリオ対訳

グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち―シナリオ対訳


いや、やはり「旅立ち」ということがテーマだからだろう。
自分の足で歩いていく、それは天才であっても鈍才であっても、
程度の差こそあれ、大変なことだ。
自分の意志を貫けるかどうか、そのことの大変さに変わりは無い。
背負ってきた過去について、“It's not your fault” と言ってくれる人が
常にいるとは限らない。言ってくれる人がいるのはありがたい事だ。
そして、その言葉を知ったら後は自分自身に責任を持って、
自分の足で歩いていけるかどうか、だから。


主人公の名前そのものが、「自分の意思を追い求める」という掛詞。
それに「good」が付くのだから、この映画には善意が溢れている。
善意も求められている。自分自身を探し求める良き人間になることを、
自己探求の勇気を持って人生を切り開くことを求められている題名。
だから、邦題に「旅立ち」と付けられたのだろう。


自分を駆り立てるものは、狩をするように求めたいのは何なのか。
青春時代が過ぎ去っても、思秋期の今になっても、
その胸が痛くなるような感覚は消えはしない。
温かい目で主人公とセラピストが共に癒されていく過程を見ながら、
観客も癒されるというこの空間の中に巻き込まれる人はともかく、
そこからさえも疎外される、共感の輪に入れない者は、
再びまた別のHuntingを始めなければならないのだろうか。
そんなことさえも考える。


・・・余計なお世話か。
生き直したり学びなおしたりする機会が多いアメリカと、
一定の路線から外れると軌道修正しにくく、
たとえ人と異なる才能があったとしても認めて貰えない場合の多い日本。
そんなギャップを思いながら、私自身、「旅立ち」に憧れる。
思秋期でさえも中年思春期ということで、心に波立つ思いを抱え、
来し方行く末を思い煩う。


そんな時、やっぱりこの映画は、私にとって一服の清涼剤になる。
学び続けることを諦めてはいけない。
善きことを望むのを諦めてはいけない。
たとえ迷っていてもいつか道は開けるはず。
意思あるところに道ありと信じて、今を、今日を生きようと思わせてくれる。
Good Will Hunting ― 旅立ち

グッド・ウィル・ハンティング−旅立ち−サウンドトラック

グッド・ウィル・ハンティング−旅立ち−サウンドトラック