Festina Lente2

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負けるが勝ち?

母の誕生日だったのだが、帰宅できたのは20時半過ぎ。
今日は早く帰るよというのは、守れない日だった。
重なる時は色々重なり、どうしても早く帰ることが出来なかった。
年寄りの夜は早い。それだけ弱ってきていると思うと、尚更気がかり。
1日に2度、せめて朝晩顔を合わせなければ・・・。


父が近所でショートケーキを買ってきてくれていた。
お祝いの食事会は家人が一昨日に済ませていたものの、
大切な日であっても、平日家族が集まれず、全く申し訳ない。
娘と二人でケーキをつつきながらも、仕事の残像に邪魔される。
全く気持ちの切り替え、気持ちの収まりが付かなくて苦しい。


職場では、残業をしなければならない人間は限られてくる。
特別の仕事や役職がある場合、他とは別に行動する必要がある。
ある意味、その事柄に関わる人間、扱う事が出来る、
触れる事が出来る人間や部署でなくてはならない。
立場上、或いは役職上、職務上。
その目に見えない仕事を、ある意味、他人が嫌がる仕事を、
誰も引き受けたがらない仕事を誰かがやらなければ、
どうしようもないのだ。


というわけで、そういう仕事がある日は、厄日とも言える。
そういう役目を引き受けなくてはならないのは、災難とも言える。
自分だけに降りかかってくる「災難」とも取れなくは無い。
とにかく、こと仕事の場においては目立つ仕事と目立たない仕事、
得手不得手や適材適所に関係なく、誰かがやらねばという、
そんな役割分担がどの世界でも当たり前。
仕事とはこういうものなのだ。
そして、不思議な異に均等に割り振られることは無い。
集まる所には集まる。派手に目に見える仕事と、
全く見えない仕事と。

不思議なほど仕事がうまくいく「もう一言」の極意

不思議なほど仕事がうまくいく「もう一言」の極意



大切ではあるが、人がしたがらないもの。
誰かに押し付けるものが世の中には沢山ある。
命のやり取りでは無いからいいといわれればそれまで。
事務仕事でも、それ以外でも。
役割があれば安心する人もあれば、役割ゆえに疲れ果てる人も。
何しろ、社会人の条件は役割をこなすこと。
ペルソナを被ること。
マジックではないが、その切り替えの早さが、
気持ちと内容のギャップが、
自分の考えとイメージと、人のそれとが、すれ違うので苦しい。


何を受け入れ、何を還元する? できるとでも?
しなければならない? するべきだ?
仕事の一部として? なのに、何故したがらないか?
綻びを埋めるのは目立つ大きな所から、
そして、留め金が掛けやすいところから。
それでも「上手の手から水が漏れる」世界。
隙間を埋める仕事が回ってくる。


長い間仕事をしていると、
与えられた任務をこなすだけの日々が、
ある意味、楽だったことに気付く。
「人を使うは使われる」の世界。
誰かに何かをしてもらうのは心苦しかったり、
申し訳なかったり、色んな気持ちが働く。


仕事として割り振るのは当たり前だと分かっていても、
幾つになってもこれは慣れない。とても心苦しい。
しかし、割り振られた側は割り切って動けるだけ楽。
兵隊には兵隊の苛立ちと煩わしさと気楽さ。
計画・企画・立案。遂行、残務処理、結果吟味。
その後の継続・残務処理が更に負担。


誰かがしなければならないと分かっていても、
自分の性には合わないといつも感じる。
そんな弱気な事を言っていたら、
仕事なんて成り立たないのだけれど。
転勤でめげ、人事異動でめげ、役割分担でめげ、
新年度の配置転換やシフトで大揉めに揉め、
我侭が通れば道理が引っ込む世界で、
先輩の要望を受け入れる代わりに、「精神修行」の世界。
それをメリットと思わねば、やっていけない。


何故、受け入れる側が常に「折れていない」と、駄目なのか。
弱さをカバーする、では無くて、
その我侭な弱さを十分武器にしているではないかと、
声を荒げて叫びたいのを我慢して、愚痴にレベルダウンし、
「負けるが勝ち」と言い聞かせて冷静さを取り戻す努力。
そんなこんながぎっしりの年度末。

「挫折しない整理」の極意 (新潮新書)

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