Festina Lente2

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人から見れば元気な私

お世辞だと受け取っておこう。
でも、その言葉のお陰で気分が良くなったのは本当。
少し笑えたのも本当。だって、若く見られた上に、
人より元気だと思われたのだから。
でも、その背景には彼女の今のしんどさがある。
他人が元気に見える時。
それは自分が辛くて仕方が無い時なのだから。


事の発端は、今年来たばかりの人と二人きりになったこと。
配属が新であれ旧であれ、年配の人であれば、それなりのキャリアがある。
あれこれと世話を焼くと、却ってプライドを傷つけることになりかねない。
しかし、中にはなかなか適応できずに苦しむ人も多い。
かつて自分もそうだったし(今でもすっかり慣れたとは思えないが)、
立場上あちらこちらの綻びを繕うのも当たり前。
しかし、相手が自分より年上であると思われる場合、なかなか気を遣う。


ところが、話してみると年上どころか自分よりも十ほど若く、
逆に相手は相手で、私を十ほど下に見ていたことが判明。
全くの笑い話だ。お互い相手を読み違えていたわけだが、
もっと驚いたことに、「いつも明るく元気そう」な私に、
仕事をバリバリしている人という印象を抱いていたらしい。
更に大笑いというか、余りの意外さに戸惑った。


自分自身、この年度末年度始め、四苦八苦しながら仕事をこなしており、
低いモチベーションを引きずりながら、
散々もめた挙句、新しく慣れない事に挑戦せねばならず、
何故ここまで譲らねばならないのだと、うんざりしていた。
ポーカーフェイスが出来るほど、まだ大人にはなっていないかと、
改めて自覚されて、うんざりする出来事がまとわり付いた。


体調も不安定で、思うように仕事がはかどらない自己嫌悪に苛まれ、
ブログは停滞し放題、自分を客観的に眺めるのが苦痛でたまらず、
開き直ったが挙句、頭隠して尻隠さずの書類を会議で呈示し、
「だから何? (何もしない人に何が言えて?)」的な綱渡り。
全く大人気ない仕事振りに我ながら暗澹たる思い。
そして迎えた脱力の週末、投げやりな気持ち、
後は野と慣れ山となれのアンニュイな金曜日だったから。


この私のどこをどう見てこの4月、明るく元気で?
仕事をバリバリ? それは、そのように見えた彼女の転勤先、
今のこの新しい職場での四苦八苦振りを伝えるに余りある。
「隣の芝生が青く見えて仕方が無い症候群」である事は間違い無い。
転勤したての人間にとっては、以前からその職場で働いている人間は、
不適応など起こさずに順調に稼動している、
組織の歯車そのものに見えたのかもしれない。
あにはからんや、そんな事はござらん」の世界なのだが。


結果的には、自分が人の目にはどのように映るか気にするまでも無く、
人は見たいものを見、聞きたい声を聞く。だから、事実が真実とは限らない。
自分の心を鏡にしているに過ぎない現象にとらわれてしまう。
たまたま、その反響に触れただけなのだけれど、
相手の言葉に気をよくした、というか、笑えたのは確か。
嘘でもいい、おべんちゃらでも仲人口でも、
そんな風に見て貰ったと、元気に見えたというならそれで、
否定するまでもなく、ありがたくその言葉を受け取って、
もうすぐやって来る5月への追い風にしよう。


古いくびきは投げ捨てた。昨日の会議はもう忘れて、書類の山も、
拾い切れなかったこと掬い上げられなかった事も、何もかも忘れて、
「明るく元気にてきぱき仕事をこなす私」の仮面を上手に被って、
ゴールデンウィークを迎えよう。
石橋を叩いて割ってしまって渡れないと思っている私を、
石橋を叩いて渡っていると思っている人もいるのだから。

ビジネスマンの「聞く技術」―コミュニケーションを変革する最重要スキルの磨き方

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