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『タイタンの戦い』

タイタンの戦い』って言うけれど、巨人なんで何処にも出てこない。
おまけに中学生を連想させる坊主刈りのキンニクマンが、右往左往。
「俺は人間だ」と言っても受け入れられず、
周囲は「デミゴッドだ」と特別視。
誰だっけ、このにーちゃん。
どこかで見たことがあるはずだけれど思い出せない。
そんなにハンサムでもないのになあと最後まで思い出せず、
パンフレットを見て、『アバター』の主人公役の青年とやっと気づいた。
あんまり華が無い役者だと思うんだけれどなあ、私から見れば。


実の父親が神様という設定が、出所が人間くさいギリシア神話らしい。
父親殺し、きょうだいでの争い諍いはギリシア神話お得意。
姦通や略奪愛、倫理上許されない恋愛も何でもありのギリシア神話
欲望を満たすためにはどんな追っかけも辞さない、
怒りや戒めのために想像を絶する凄惨な厳罰を科し、
人を人でないものに変えることも辞さない、
人を化け物に変えることも厭わない神々。
この辺がオーバーロードらしい我が儘で残忍な権力者。


それにしても原典の人間関係、力関係を無視して話が進むような。
映画だから設定が変えられているとわかっていても、
ギリシア神話』を知る人間には少々違和感。
ローマ神話』ではなく、『ギリシア神話』の神々の名前の方が
優先的にインプットされ、ローマ風の名称はあくまでも補足知識。
そんな人間にとって、ここまでリアル人間くさい神様は、
『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』同様、笑える。


おまけに好き勝手やらかしておいて、親子関係には執着するらしい。
神々の人間くささというか、勝手な保護者面に失笑。
何だかんだとプレゼントしたがる、自分の力を誇示したがる親面。
そういう点で二つの映画は共通している。
『パーシー』の時は、ゼウスとポセイドン、
今回はゼウスとハデス。きょうだいは他人の始まりというが、
神様の世界も沿うらしい。自分の子供を巻き込んで争うなよ・・・。

「タイタンの戦い」オリジナル・サウンドトラック

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タイタンの戦い 特別版 [DVD]

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それにしても、神々から愛される名前なのか?
「パーシー」こと「ペルセウス」という、
人間としての英雄。半神ではなく。
しかし、結局、英雄の冒険には犠牲者が付き物。
望むと望まざるにかかわらず、周囲を巻き込んでいく運命。
「一将校成って万骨枯る」の世界。


それにこの映画の主人公の恋愛も、従来の神話とは異なり、
リメイクらしくというか、横道に逸れて、
人間のアンドロメダと結ばれるのではなく、
神と人間の間の存在だとして作られた「イオ」と結ばれる設定。
やっぱり神様はあくまでも自分の子供を特別扱いしたいのね、
ゼウスは「愛」の神だと強調したいわけね・・・。
でももともと雷神だから、その愛を受けると黒焦げになってしまう。
必要以上に愛されると、とんでもないことになりそう。


最初からどんな怪物が出てくるか、従来のイメージが邪魔をする。
神話上の世界を、既知の様々な知識を、
それこそ「クラウド」として膨大に持つ映画、
多少映像が荒くて、ストーリーが荒唐無稽で、役者に面白みが欠け、
時代劇的な大仰さ、ありふれた活劇・冒険譚のオンパレード、
勝つことが必然の展開、どんでん返しの無い展開は、
安心してみていられるお約束が多い。
そのせいか、主人公の頑張り? が空回りにしか見えない。


単に「アバター」でヒットした役者を使っていますよ、
抱き合わせで観てください的な映画に、
ずいぶん費用を掛けたなあ、そんな感じさえする。
真夜中のプレミア席はがらがらに空いていて、
疲れた体を休めるにはクッションが効いていた。
展開される荒唐無稽な物語、でも、仕事で疲れた頭には、
これくらいの気分転換がちょうどいいような気もする。
でも、やっぱりちゃんとしたギリシア神話らしくはなかった。
そう思いながら、帰宅した午前様の夜。

ギリシア神話 (子どものための世界文学の森 28)

ギリシア神話 (子どものための世界文学の森 28)