Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

空しい研修時間

研修を企画主催する側にとって、聞き手の望むものが全てではない。
アンケート結果だけに左右されるのではなく、
本当に為になる方がが良いと思って企画している。
遊びではない、暇つぶしでもない、研修なのだから。
けれども、時として自分の価値観を揺さぶられたり、
人前で意見を述べなくてはならないようなものを、
恥をかかされたり、自分を曝け出さざるを得ないものとして、
敬遠する人は少なくない。


講演を聴かされるだけの形式を望む人もいる。
ワークショップ形式だと、「しんどがる」人も。
ビデオ・DVD鑑賞の時間を取ると、解説に時間を避けない。
講師が話し慣れしている、それは悪いことではないけれど、
対象聴衆の想定がずれているのか、型にはまった滑らかな話し振り、
相手の反応を見る以前の「予定をこなす」講演はお話にならない。
レジメを読み上げるような形の研修では。


単なる講話、それでは何にもならない、聞くだけ、
そういう研修も珍しくない。
研修を受ける人間は「聞かされるだけ」と受け止めてしまう。
その気持ちは良くわかる。作る立場でもあり、受ける立場でもある。
何もかもが全て、自分が望むとおりに運ぶわけではないのは。
企画する側、受ける立場、両方の気持ちもわかるが、
何よりも予算がなく、ボランティアに頼らざるを得ない、
その状況で時間や予定を立てることの難しさ。
より良いものを提供することの難しさ。


ある程度の年齢になっていれば、今更聞くまでもない。
聞いてどうなる、そんな義理の付き合い、
もっと大切なことに時間を使いたい、
そういう人も多いのかもしれない。
その気持ちもわかるが、しかし、それでは立ち行かない。

効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)

効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)

研修・セミナー講師を頼まれたら読む本 (DO BOOKS)

研修・セミナー講師を頼まれたら読む本 (DO BOOKS)


職場の研修というものを、毎回毎回パスする人間がいる。
何を今更と思うのだろうか。時代が変わったのか職場のせいなのか。
私が若い頃は、出席は必須。
予定表の中に組み込まれているものであり、
必ず参加べしを先輩から叩き込まれたものだが、
今の若手は平気で欠席、年配の人間は休む口実を作る。


何のための時間か。
職場の研修。これを仕切る人間は少々煙たがられても、
気にせず淡々と計画を立てられる、
振られたノルマをこなす人間に向いているのか。
数少ない職場内教育の場、共通理念構築の場として、
わずかな時間でも有意義に使いたい、
できるだけ有効活用したいと、毎回悩んできたのが嘘のよう。
今日の研修の手応えの無さ。


何故ならば、今日の研修は私が企画したといってもお仕着せの内容。
打ち合わせ不可能な、ほぼ出来合いの(悪く言えばおざなり)内容、
顧客に合わせたというよりも、万人向けでマニュアルでおろされたもの。
話し合い・すり合わせてひとつの形にまとまったものを、
現場に下ろしていく形のものではなかったから・・・。


こうやって、この3年間苦労してきたものを、予算の関係から
「無料」の枠の中に収めることで、型にはまった面白みのない、
そして個人の価値観を揺さぶる心配のない、痛くも痒くもない、
日程をこなしただけの研修で流していくというのだろうか。
そのちょうつがいの役目をしなければならないというのなら、
早くお役目御免になりたいものだ。
講師探しに苦労して打ち合わせに悩んでも苦しくても、
練り上げた研修を提供できる方がいいと思うのは、
私の独りよがりなのか。


受ける側がその場に1時間半から2時間座っているだけで終わる、
そんな楽なものを望んでいる人ばかりではないと思うものの、
集まる人間はいつも同じ。来る人は来る、来ない人は来ない。
何を今更の時間だから。
企画には予算がつき物、すり合わせの時間は限られている。
タイミングの問題もある。
達成感よりも、空しさが強かった今日。
とりあえず、役職・立場上の仕事はこなした。
それだけ。
そのことがやたら哀しい。


こんな仕事、こんな生き方はしたくないのだ。
こなして終わるだけの、一期一会を流していくだけの、
心に残らない時間を作るのは。
せっかく朝から降った雨が上がったというのに、
苦い苦い思いで眺める、研修後の夕方の晴れ間。
6月も終盤。

教師の意識を変える 校内研修マニュアル

教師の意識を変える 校内研修マニュアル

運命のコーチと出会う本 (中経の文庫)

運命のコーチと出会う本 (中経の文庫)