Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

流れに任せて月曜日

時間は否応無しに進み月曜日、仕事はフル回転。
何だか不思議、人の前で説明したり書類を配ったり。
ちゃんと仕事をしているじゃないかと、もう一人の自分が驚く。
本当ならば何もかも投げ出して、ナルコレプシーのようにかくんと
眠り込んでしまいたいほど疲れているというのに。
晩、色々思うことがあってうたた寝状態。すぐに目が覚める。
怖い夢も見る。
久しぶりに4月になって泥棒に入られる夢、何かを盗まれる夢を見た。
最近見ていなかっただけに、自分が心理的に追い込まれている、
見知らぬ者を相手に仕事をしなければ、というプレッシャーを
感じているのだと実感。本当に蚤の心臓なんだから。


読みたい本があるのに眺めているままになってしまった。
少しつまみ食いのように本を開き、また閉じて、想像する。
そんな世界からずいぶん遠ざかってしまった。
時々自分が読み損ねて、飛ばし読みして粗筋だけをかろうじて追っている、
そんな話の中の登場人物になってしまったような、そんな気がする。
粗略乱造状態の自分、仕事があるから後手後手なれど動いているが、
自分が仕事をこなしているのが嘘のよう。
そして、今までに無く大量の書類を処分しているのに、我ながら驚く。
大事に取っておいても見ないと、諦めたというか、何と言うか。


化石のような書類の山から、日々刻々と動く仕事へ、
両極端から両極端へ、ナマモノを扱う日々。
心の中がささくれ立っていようと、関係ない。大人の事情。
周囲の仕事の段取りの足を引っ張り、本体をひっくり返すようでは元も子もない。
そういう理性の部分がサクサク? 仕事をこなしているのが怖い。
もう一人の自分が湧き出ていて増殖しているように見えているが、
限りなく果てしなく消耗していて、こんなことでは倒れてしまう・・・。
倒れてしまいそう・・・。軽い眩暈は慢性状態。


返却が溜まっていた本をどうにかせねば、息せき切って図書館へ。
車という足がないと、終業後20時までに図書館に行くのは難しい。
足回り小回りが利かず、全く時間の浪費も甚だしい。
郵便局にも銀行にもコンビニにも図書館にも、どこにも行けない。
電車通勤ではなくバス通勤の人間は、道路交通事情に左右され、
30分近くも平気で遅れてくることが珍しくないバスが頼り。


田舎の都会、都会の田舎、辺鄙な土地に住んでいると、
当てにならないものを頼りに、どうしようもなくうんざりする。
図書館に行くのさえとんでもなく贅沢、になってしまう。
だから、延滞が増える情けない状況。返却ポストに入れればって、
何時予約した本を取りに行けばよいのか、せっかく順番が来たのに、
借り出すことも出来ずおさらばせざるを得なかった本の数々よ。
どうしたものか・・・と悩ましい。

図書館が教えてくれた発想法

図書館が教えてくれた発想法

図書館 愛書家の楽園

図書館 愛書家の楽園


娘に自転車で取りに言ってよと頼むには、ちょっと不安。
この界隈は子供1人、婦女子1人で歩くには物騒で心もとない。
ある意味、車で守られて行き来できるという面もあったのだが、
職場にその論理は通用しないのが腹立たしい。
むろん、私よりももっと通勤時間が掛かっている人なんぞ、
世間ではざらなんだろうけれど。
駅を経由せず、バスだけに頼る生活は、何と言うか、侘しい。
フリーペーばーさえも手に入らず、世間の情報が入って来ないような気がする。
世間から隔離された、大げさに言えば隔絶された通勤感覚、
とでも言おうか、・・・何と言うか。


それは車、マイカー通勤とて同じだろうという人もいるかもしれない。
でも動く応接間や居間である車の居心地は、自分に属する空間ごとの移動。
あちらこちら、特に最寄り駅ビルに走って行けるので、
何かと色々家の用事もついでで済ませて買い物もOK。
その融通の利く便利さ。バス通勤とは全く事情が異なる。


本数が多ければ、すいすいと渋滞が無ければ、事情は違うのかもしれない。
図書館が21時まで開いてくれたとて、勤務状況は変わらず、
図書館に21時までいると、家の中が片付かず、
いつもはみ出た余分な時間や心残りな物事が、
目に見えない形でワラワラとたむろしている。
心ここにあらずなのに、動いている自分に半ば呆れ半ば苦笑しながら、
月曜日が過ぎていく。ああ、このままずっと2馬力分で過ごせば、
少しは痩せる?
いやいや、ストレスで余計太りそう。いやはや。


誰か私をブックポストに放り込むように、ベッドに放り込んで。
暖かい寝床に。

図書館の新世界

図書館の新世界

触発する図書館―空間が創造力を育てる

触発する図書館―空間が創造力を育てる