Festina Lente2

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淡々と誕生日

誕生日である。が、しかし、家人からの祝いの一言も無く、
僅かばかりのバーチャルなお付き合い、ネット上で祝われる。
せめて昔みたいに朝花束が届く!とかでなくてもいいから、
何かないかなーと思ってしまう贅沢な自分なのであった。
正直、少しばかり寂しい気がする。こちらから電話してみたら、
「今日が誕生日だったか」と言われてしまった。やれやれ。
結婚して10年以上経つと、こんなふうになってしまうのものなのね。



たまたま今日はボランティアの日。遅い帰宅。
でも、娘が玉葱とお肉を炒めて味噌汁も作ってくれていた。
ありがとう、持つべきものは食事が作れる家族。
じいじはケーキを買うスポンサーになってくれたそう。
「お母さんは誕生日だから二つ食べてね」と言ってくれたものの、
一番美味しそうなチョコレートケーキをしっかりゲットしている娘。


まあいいか。君には、毎日寂しい思いをさせている。
なのに、しっかり大きくなってくれた。身長体重の比率から言うと、
中学生と間違われるくらいに。
心の方はどれだけ成長してくれているか、
かーちゃんが構ってやれない分、とーちゃんがそばにいない分、
じーちゃんばーちゃんが高齢な分、娘には色んな負担がかかってしまった。



高齢出産で授かった、いわゆる「神の申し子」の如く
望まれて生まれてきた娘であるが、思春期の入り口に差し掛かってきて、
なかなか難しい関係になっている。自分の誕生日を迎え、
不惑の年齢分の差が埋まることの無い娘との年月を振り返り、
しみじみと思い入る誕生日。如何ともし難い年齢差が、
凶とでるか吉と出るか悩ましい、今日この頃の娘との距離。

愛すべき娘たち (Jets comics)

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娘に伝えたいこと―本当の幸せを知ってもらうために (知恵の森文庫)

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そんな今日、何年も読ませて頂いたブログで、その方の母上の訃報
医療に携わる人間として、普通の人以上に病状を良く知り、
それだけに悩ましく、心傷む思いを抱えながら、
自分の親の闘病生活を見守りつつ、仕事を続けられてきた。
その思いを今日、画面から伺い知る機会を得て、
ただただ頭が下がる思いで一杯だ。



愚痴を言い、弱音を吐き、少しずつ前進、その繰り返し。
哀しいこと、虚しいこと、腹の立つ事、喜びもあれが悲しみも、
しかし報われぬことの多さに呻吟し、
それが当たり前の世の中のありようと言われて、
自分のふがいなさを再認識し、がっくり。その繰り返し、揺り返し。
そんな中で、胸に堪える「人の死を受け入れること」。
「身近な人間の死を、どのように受け止めればいいのか」というこ。
その思い。仕事からではなく一人の人間としての思いに、
ただただ胸を打たれ、自らを省み、
多々考えさせられる機会を頂けたことに感謝。



毎日、狭い世界で生きている。
多くの人間と接していても、誰一人同じ人間はいない。
娘は自分の知らぬ世界へ向かって成長し、自分はただただ老いて行く。
ただでさえ世の親よりも歳を食っている分、
人一倍の速度で老いて行くような、そんな錯覚さえも感じる自分。
(実は齢相応だと思えれば何という事も無いのだが、
 子どもが幼い分、気だけ若く、
 突然ギャップに気付くとそのショックも大きく・・・)


  


そんな自分の誕生日を、職場で祝ってもらいケーキを食べ、
自宅で娘と再びケーキを食べ、これが贅沢でなくてなんだろう。
定年まであと8年。結婚して13年、娘が生まれて11年と半年余り。
小学6年生になった娘は、何を考えているだろう。
働き続けることに、もっともっと親が前向きにならなくては、
思春期の娘にどんな影響があるか、姑息な思いに囚われつつも、
ぼろを隠しきれぬ、あたふたした毎日。
また一つ年を重ねてしまった。


  


今日、花束はどこにも無い。職場からの帰り路、
見上げた八重桜だけが知っている。
積み重なる年齢、積み重なる思い、揺れる心。
幾つになっても悟りきれない。
でも、感謝しよう。自分の周囲にいる人々に。
バーチャルなネットの世界の向こうにいる人々に。
今日も、ありがとう。

きみにありがと (SHIROKUMAKUN BOOK) (MG BOOKS SHIROKUMAKUN BOOK)

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