Festina Lente2

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どんなハート?

研修での出会いは一期一会。その後どんなふうに発展していくか、
出会いの偶然、運命、必然、相性も大事。
よりにもよってこういう組み合わせですか? ということもあれば、
こういう出会いがあるから、いいなあとしみじみすることも。
概ね、知り合いがいる時は決して同じテーブルには着かない。
自分の仕事上のモチベーションがだらけてしまわないよう、
なあなあで流されないよう、知らない人間が多い所に出向く。
それが自分自身に課している、一応の縛りではあるのだが。


研修というものは、本人のモチベーションと同時に培った技術が、
そしてその人間の個性が表れる。
自分のために学びたいという欲求もさることながら、
単に仕事に活かすためという義務的なきもちだけのもの、
自分のためにといいながら、その場にいることが楽しいというか、
研修にはまっているオタクのような感覚の人も要るわけで、
内輪意識で盛り上がるというか、それが自己表現の場であるように、
妙に活気づいている人もいて少し、「引いてしまう」こともよくある。


そういう意味で、今日の朝昼晩は実に見事に分かれた。
こういう1日も珍しい。もっと緩やかに変化することが多いのだが、
何というか、まあ、この手の研修は久しぶりだからなのか、
やはり、運命的な偶然と必然の妙なのか。
テーブルに着いたその時から、全ての運命は、歯車は、
その時間、その日の研修の成果は決まっているようなもの。
そんなふうにさえ、感じられた1日。


午前中は、ふむ、なかなか。手応えあり。
午後は、これではやってられん。ぐったり。
夜は、ささやかな打ち上げで盛り上がる。



大抵の場合は自己紹介をどのようにするか。
自分を見せる、その「駆け引き」にも似た場。
そこから始まる。
ブログをネットサーフィンで渡り歩くように、どのページから読み始めるか。
自分の好きなページだけ、記事だけを読み飛ばすような、そういうものではない。
皆目見当が付かない、自分の切り売り状態のオープンな場面から始まるのではなく、
現実の出会いというものは、切り取られた(切り取る)断面を
与えられた条件の中でどのように料理するも、
切り分けて盛りつける、自分自身(の判断)に掛かってくる。


自分が見せたい自分なのか。見せてもいい自分なのか。
知らせておきたい自分なのか。知って欲しい自分なのか。
むろん、自分甲斐としたとおりに相手に伝わる保証はない。
なぜならば、人の受け取り方も千差万別で、それは自分にも当てはまる。
相手をどのように受け止めることが出来るか。
受け止めようとしているのか。受け入れたいのか、受け入れたくないのか。


ありていに言えば、本日の午前中は気持ちよくその流れに乗ることが出来、
午後は、その場から逃げ出したくなるような「井戸端会議」的な雰囲気に疲れ、
夜は思いもがけない人の輪の中で寛ぐことが出来た、貴重な時間となった。
別の言い方をすれば、予想通りの研修内容の午前、呆れ果てる午後、
学生時代に戻ったかのような楽しい夜だった。


研修は出会いの場でもあるので、その一期一会を大切にしたい。
だが、そうではなくて単なる資格研修と思っている人。
知り合いがいるので「楽しくて」ハイになっている人。
自らのモチベーションとその背景を見極めている人、いない人。
コミットすることと、自我を出すことを混同している人。
様々な段階やレベルの状態を、見計らいながらも学ぶ場を確保するのは難しい。
人の振り見て我が振り直せの世界ではあるので。


まあ、3分の2、納得できる1日であったので「よし」としよう。
人間欲張ってはいけないから、ね。

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