Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

絵と言葉と心と

小雨降る中、大阪市内まで出向いて久しぶりに少しだけ勉強。
アートセラピーを知ってから、20年ほど経った。
我ながら年を取った。途切れ途切れの勉強を続けて。
ぎりぎりに到着したので、大勢の人が集まっていてびっくり。
まだまだこれからの若く美しい人たちに交じって、
自分よりも更に年配の人もいる、そんな会場に陣取って、
通訳を通して講演者の話を聞く。こんなことは何年振りか。
所々こなれていない日本語よりも、英語を聞た方がわかりやすい。
こういう形で学ぶのは本当に久しぶりで、新鮮。



講師も英語圏外での講演に慣れていて、
日本人には易しい英語を使っているのかも。
その分野のことを学んでいれば、専門用語がどのような意味で、
どのような場面で使われているかわかるだけに、
共通のバックグラウンドがあると、理解はし易い。
毎日の仕事に直結しているわけではなくても、改めて若いうちに勉強、
そこそこ学んでおいて良かったという、そんな気持ちに。


知っていること、感じていること、
読んだことがあること、疑問に思っていること。
そういうものが、人の話を聞いている時に一瞬にして繋がるような、
ああ、そうだったかと瞬時にリンクする、この感覚。
勉強している時「わかった」「そうだったのか」「なるほど」と感じて、
楽しかった若かりし頃の感覚、そういうものが蘇ってくる。

フォーカシング指向アートセラピー

フォーカシング指向アートセラピー

アートセラピーで知るこころのかたち

アートセラピーで知るこころのかたち


研究者ではないけれど、熱烈なファンでもなんでもないけれど、
こうやって「学び」の時や、形を持つことは大事なこと。
そして人の話を聞いた後に、頭のリンクしたものを再構成して、
紡いでいくためには、考える時間も必要。
人と語り合う時間ももっと必要なのだけれど、
残念ながらその先は、でこぼこどころか途絶えているところか哀しい。


独学。組織に身を置いているわけではない、
仲間と頻繁に勉強会を持てるわけではない、
現場に直結しているのではない、(間接的に関係していても)、
学びたいことや知りたいことが生活の、仕事のメインではないということは、
仕方の無いことなのだと身に沁みていても、心寂しさは否めない。
ただ、自分のために勉強しているのだから、
かつて学んだことの上に、少しずつゆっくり石を積み上げているのだから、
それはそれで良しとして、今日の自分を認めてやらなくては。


くいっぱぐれた夕食をどこで取ろうか探しあぐねて、見つけた店は、
紅茶飲み放題パン食べ放題の、閉店間際のパン屋さん。
ここでよし。滅多に食べない調理パン、久しぶりの熱々紅茶、
仕事を終えて大阪まで出てきて、また帰る。
結構気持ちとしては高揚していても、体は正直疲れ切っている。
予定より1時間ほど遅れて帰宅。23時過ぎになった。
娘が心配していた。「電車遅れたの?」
別段地下鉄に異常はなかったが・・・。


和歌山で震度5地震があり、JRを中心として交通の乱れ。
2階はかなり揺れたよとのこと。
かーちゃんが出かけて何事もなく帰って来られたのは、
ある意味、幸運だったのかもしれない学びの夜の出来事。

対人援助のためのアートセラピー

対人援助のためのアートセラピー

芸術と心理療法―創造と実演から表現アートセラピーへ

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