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小松左京氏逝く

文学少女文学少女だったが、奥手な文学少女だったので、
ジャンルにこだわって作品を読んでいたわけではなかった。
SFというのが、サイエンスフィクションだとおぼろげに知ったのは、
小学校の4年生ぐらい。色んな空想科学冒険小説を読むには読んだが、
学習雑誌の付録の域に毛が生えた程度のレベルで、
本格的なSF作品を堪能するというには、まだ幼かった。
実際、今でも活躍している大家を含めて、当時まだ若手だったり、
脂の乗っているバリバリ活躍する時期という作家の作品に、
触れていたには触れていたのだろうが、記憶に残っていない。


日本のSFといわれると一番覚えているのはショートショート星新一
『声の網』はなけなしのお小遣いから買った貴重な文庫本だった。
高校入学後、図書室に全集があり、嬉しかったのを覚えている。
たびたび映像化されて有名になった作品『時をかける少女』の筒井康隆
少年ドラマシリーズねらわれた学園』『謎の転校生』でも人気だった眉村卓
最近では奥さんのために作品を書き、話題になった。


高校生以降に読んだ『戦国自衛隊』『妖星伝』の半村良
萩尾望都の漫画化で新しい命を吹き込まれ有名になった超大作、
『百億の夜と千億の夜』の原作者、光瀬龍
『夕映え作戦』も少年ドラマシリーズで映像化されたはず。
そして、多くの怪獣映画の原作と、優れた海外SF作品を紹介した福島正美。
毎月SFマガジンを買っている同級生は、ずいぶん大人に思えたものだ。


海外作品からの刺激も、心地よかった思春期の頃。
今ほどファンタジー文学が盛んではなかった時代、
少年少女文学全集を卒業した世代は、あるものはSFへ、
あるものはプログレやハードロックの音楽の世界へ、
少数派は詩や短歌の世界に、積極的で意欲的なものは模倣から創作活動へ。
なのに、何故か私の周囲には小松左京の話題は出てこなかった。


「巨星落つ」と称されてもいい、SF界の大御所のはずなのに、
何故か私の周囲では小松左京の話題が出てこない。
そして、私自身もそれほど作品を読み込んだ記憶はない。
博覧強記の作家、小松左京。マルチタレントといってもいいくらい、
才能に溢れていたと言われた彼は、大阪万博、後に花博を手がけたこと、
日本沈没』の映画の原作者であることで有名。
しかし、是非とも読んでみたい作家の中には入っていなかった。
それは何故だか、今もってしてもわからない。

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)

果しなき流れの果に (ハルキ文庫)


そして、この年に至る。いくつかの作品は耳にしていて、
読んだり見たりしているはずなのに、記憶にない。
小松左京を懐かしむ思い出のようなものが、無い。
どこか遠い世界の人、自分が読むような作品の書き手ではない人、
そんな風に意識されて、この年まで来てしまった。
そして知ったのは、老父と同い年だったのだなあということ。


食わず嫌い読まず嫌いという言葉があるが、別に嫌いでも何でもない。
ご縁がないまま、ここに至ってしまった。
読む必要性や、興味がわかなかった。
多分『日本沈没』『復活の日』という言葉のイメージも、
自分から読もうという気分にさせなかった、子供から思春期にかけての頃、
たまたま、SF関連から遠ざかり別の読書、音楽、仕事に時間を奪われ、
きっかけをつかみ損なって、そのまま。そんな感じかもしれない。


名前だけ知っていて、とうとう近しく読みふけることの無かった有名人。
損な作家だった小松左京。別に彼に限らず、どうしても読んでいない、
読む暇もなければ無理して時間を作って読もうとは思わない、
その手の作家は沢山いるに入るのだけれど、こうやって訃報が出ると、
何だか申し訳ない。そういう気持ちがしないでもない。何故なら・・・、
やはり一つの時代が終わってしまったんだなあ、
昭和も遠くなったけれど、確かに遠ざかっていくんだなあと、
侘びしい気持ちにさせられるから。


読みたい本はどんどん増えるのに、(読まなくてはならない本もあるにはあるが)
時間はどんどん無くなっていく。目のせいで、読みづらさは募る。
読むための気力体力も、日々の生活に削られている。
その中で、小松左京の作品をただの一作も振り返ることなく来てしまった。
自分がそうして来たことに、多少の驚きを覚えている。
同僚と、彼の話題が出ることもなく過ごしながら、驚いている昨日今日。

ゴルディアスの結び目 (ハルキ文庫)

ゴルディアスの結び目 (ハルキ文庫)

小松左京自伝―実存を求めて

小松左京自伝―実存を求めて