Festina Lente2

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「ハリーポッターと死の秘宝part2」を観ながら

この夏の映画では最大の楽しみとしてお盆まで取って置いた、
ハリーポッターと死の秘宝」の後編、やっと見ることが出来た。
なかなか3人の予定が会わず、一緒に映画館にどこへ行くかとなると、
少々お高いものの新しい設備でということになり、待ち合わせ。
訪れた大阪ステーションビルの中の映画館、2度目。
前回訪れたのは http://d.hatena.ne.jp/neimu/20110625
『スーパー8』を見たとき以来・・・。


何だか今日見てしまったら、この続きがないというのが寂しい。
大河ドラマじゃないけれど、夏休みかクリスマスお正月のお楽しみ、
続きが見られると思って過ごしてきた数年間、この映画、このシリーズ。
もう最後だと思うと、その事実の方が感慨深い。
子役、素人だった俳優たちはもう立派な若者となり、
これから先の人生、どうするんだろうと他人事ながら危ぶみたくなる。
10年という、それも人生の中でも色んな意味で重要な思春期を、
第2の家族とも言うべき共演者・スタッフと過ごしてきて、
今までとは全く違う日常をどのように充実させていくんだろうと、
想像つかないその世界にやきもき。


それはさておき、当初の出演者で重要人物のダンブルドア先生役の、
名優リチャード・ハリスは既に冥界に赴き、鬼籍に入っている。
個人的にはマイケル・ガンボンより好きだった。
だから、マギー・スミスは最終回まで生きているかなと心配し、
マクゴナガル先生としてホグワーツを守るために、魔法を使って
大活躍している姿には年齢を感じたものの、ほっとしたり。


もちろん、原作でも大好きな、屈折したスネイプ教授の悲恋と青春。
映画ではアラン・リックマンもどんどんふけていくし・・・。
この物語の重要な人物が、「例のあの人」というよりも、
スネイプ先生じゃないのかと思うくらい、個人的には肩入れ。
失われた初恋のために全身全霊で「憎まれっ子」に徹する、
筋金入りの根性ロマンチスト、好きだったなあ、このキャラ。
等と、作品・映画の本筋とは異なる所にも思いが飛んで、
どうにもこうにも焦点が定まらない。


それに物語の世界を字面で読む世代の人間と、
映像から入って幾世代の差異という様なものが、
この作品においてはぶち壊された感もあり、
繰り返し見せられる宣伝や映画の影響で、サブリミナルが入って、
既に物語が脳内映像では3人の子役と周囲の登場人物に
無意識にすり替わっている当たりが、嬉しくもあり哀しくもあり。
さて、どう物語を終結させるのか。おまけにシリーズ初の3D映像。


技術が発達したのか、それほど3Dに執着した画像ではなかったのか、
余り不自然感も目の疲れもなく専用眼鏡着用。
長さを感じさせずあっという間に終わってしまった。
謎解きの部分や、それぞれの登場人物の葛藤があっさり映像で流れ、
どんどん話が進んでいくのが残念なくらい。
娘は鑑賞後、作品の中の○○が出てこない、映っていないと、
ぶつぶつ文句を言ったりしている。大きくなったもんだ。
この家族が出来る前、出来た後、私の人生の中でも、
ハリポタにまつわる時間が流れているのが感慨深い。


この本が出版された時、私はまだ独り身だった。
それから、結婚し、子供が生まれ・・・。
この作品が映画化が決定した年に娘を授かった。
もちろん全てリアルタイムで映画を見てきた。
出版される作品もほぼ、リアルタイムで読んで来た。
でも、実際詠み続けて楽しかったのは3巻目までで、
4巻目ぐらいのダークサイド蔓延といった風情について行けず、
なかなかしんどくなってきたのも事実。

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ハリー・ポッター映画大全 Harry Potter Page to Screen (永久保存版)

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だから3巻目まではビデオもあるし、
全巻ハードカバーで揃っているにもかかわらず、
娘は小学校から本を借りてきて読んでいた。彼女いわく、
「返却が決まっていて時間の制限のある方が、一気に読める」だそう。
そんな小生意気な口を聞くようになった娘も、映画館に
「秘密の部屋」を見せに行った時は、蛇が怖いとむずかったのに。
月日が流れるのは早い。オーディションで選ばれた子役たちが、
成人して一人前に成長しているのだから。


もっともメイキングだかインタビューで、ハリウッドの子役のように、
潰れずに済んだのは、「俳優」として扱われたのではなく、
「子供」として扱われたからだというコメントがあったっけ。
今まで色んな作品に出てキャリアを積んできた他の俳優と共演し、
様々な指導やアドバイスを受けて、謙虚に作品に取り組んできた、
まだ「大人を立てる礼儀」の残るイギリス人らしいコメントが。
これがアメリカなら、子供でもプロだからと小生意気以上の発言で、
自分を売り込むのだろうが。


シリーズ作品そのものの、物語世界の背景も実際そうだ。
自分が望む望まぬに関わらず、生まれて間もないというのに両親を失い、
敵の能力を一部引き継ぐ形となり、周囲から好奇と期待の目で観られ、
否が応にもにも運命と戦わなければならない羽目になり、
「望んでこういう風に生まれたんじゃない」と言いたかっただろう、
ハリー・ポッター
親も、知り合いも、学校の友たちも、先生も、何もかも巻き込まれ、
その渦の中心に自分がいるなんて居たたまれないはず。


だから、多くの人の思いを背負って生きる義務がある。
だから、何度も死んで生まれ変わるようにタフでなければならない。
多くの人の思いと愛情と死を乗り越えて、運命に挑む。
そういう意味では、誰もが本当はそういう世界に生きているはずなのだけれど、
与えられている役割や人生が劇的でも刺激的でもない、平凡。
なので、多くのものと目に見えない繋がりで結ばれ、
愛し合いされ守られていることに気付かずに過ごしている。
たまたま、ハリーはもっとも鮮明な形で受け入れざるを得なかったけれど。


それぞれの人間に与えられた役目がある。
家族を持たない人間の、自分の血筋を呪う男の権力欲と、
権力に憧れながらも、自分の子供と家族を守るために生きる女性と、
親友の子供のために全力で楯になる人々と。
様々な人間関係を学ぶために、一筋縄ではいかない人生を垣間見るために、
ファンタジーは存在する。一瞬のフェアリーティるではなく、
一大叙事詩としての、神話的伝説的な構造、サーガの様相を呈して。


しかし、物語は閉じられる。悲惨な戦争を最後にするのではなく、
平凡に次の世界、世代を育てる側に回った登場人物たちの後日譚を添え。
残念ながら、演出をもってしても年齢を感じさせることが出来ない、
かつての子役たちの「親役」だったけれど、
自分の子供に恩人の名前を付ける下りは、そしてその子供が、
「スリザリンだったらどうしよう」と悩む疑問に、
親となったハリーが答える台詞が、優等生的な答えだけれども、
それなりに素晴らしい。


敵味方だった人間が、支配の恐怖と呪縛に囚われていた世界が、
何事もなかったかのように、ロンドンのプラットホームに現れる。
第1巻で読者を、観客をとりこにしたあのシーン。
物語は円環を以って閉じられる。ブックエンド方式に。
額縁の中に残される名場面として、親が子に語る世界として、
語り継ぐべき人々の記憶として、受け継がれていく物語として。


時間を、歴史を紡ぐ。愛を、悲しみを、希望を、喜びを。
失われてしまったものに対する思慕と敬愛、苦い悔恨。
それらを補って余りある、新しき次の世代への思い。
世代を超えて戦うことに、苦しむことに意味のある、
その向こうにあるものに対する夢や希望の大きさを、
娘の成長を目の当たりにしている私自身は、切実に感じる。


これから反抗期本番を迎えるに当たり、娘は11歳。
もうすぐ、12歳。日本にはホグワーツはない。
優れた教育を施す男女共学の寄宿制の学校もない。
親がどれだけ持ちこたえられるか、試される時間が始まる。
私にとって、ハリポタシリーズの鑑賞が終わるこの夏は、
娘が自立していくに当たり、親の子離れ開始のゴングが、
高らかに鳴らされたかのようにも感じる。


過酷な運命を背負わされたハリーには、よき友、師
その他の人々が親代わりの翼となって、彼を支えた。
娘にはこれからの10年間、そのような出会いはあるのか。
あって欲しいと思いながら、映画館を後にする。
既に映画公開から1ヶ月経った今日は、都会でもがらがら、
貸切に近いような贅沢な鑑賞となった。
奇しくもお盆の入り、災害の戦災の、多くの人の死を悼むと共に、
映画の中で、物語の中で失われていった命にも思いを馳せる。


現実と非現実のあわい、物語と現実の境目、
現在と過去、親と子、母と娘、様々な思いの向こうに、
色んな形で自分を見出す。自分に繋がるものを思う。
そんな、今日。
さようなら、ハリー・ポッターシリーズ。
これで、最後。

ハリー・ポッターシリーズ全巻セット

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