Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

老眼の見通し

仕事は締め切りに追われて苛々の塊のまま進んでいく。
もっとも、いつまで掛かってもいい世なんていう仕事はないので、
約束事に縛られてきびきびてきぱき仕事をしないと動けないのだが、
理不尽だなあというスケジュールの中でマイナス思考になると、
年明け以降のやるせない思いが理性で打ち消せない。


煮詰まった人事の歯車の中で、また使い捨てにされるとわかっていながら、
仕事を続けていくのはやりきれない。
希望よりも、ああ、希望など絶対通らないところに、
また好き勝手に動かされるんだと、隙間を埋めてくれと、
それを、「経験」とか「能力」とかいう装飾語で飾り立てられて、
あちらこちらに振られるのだと思うと、ただただやるせない。


どこでもいい、何でもいい、与えられたことはやってみせます。
それをよしと取るか、業界のイエスマンと取るか、
人事の接着剤、パテ、穴埋めと取るか。
「出来ない・知らない・やれない」という台詞が言えない立場の人間、
年代の人間を押し込めて動かす術を知っているお上は、
言葉の上では丁寧に上っ面で、時にはなだめすかし脅して、
やりたいようにやるとわかっていながら、私にはどうすることも出来ない。


目の前の仕事を歯車になって片付けていくだけなのだ。
のほほんと脳天気な振りをするには年を取りすぎたし、
なけなしのプライドを守るには、少々体がついて行かないくらいくたびれた。
2年掛けてすることを1年でするように、要求されたと同じだった、
その1年間の終わり、待っているのは今まで以上に過酷な状況。
その見通しがはっきりすればするほど、心の中の穴が大きくなっていく。


ここ掘れワンワンで出てくるものが、毒虫や欠けた茶碗の大穴だとわかっていて、
犬の役目を果たさなくてはならないのだろうかと思うと、目眩がする。
そしてこの先叩きつぶされて、どこぞに放られてしまうのだろう。
「適材適所」という言葉に基づいたように見せかけられた、
押しつけや力関係、配慮という名の下のコマ合わせ、
やってやれないことはないんでしょうという、宥め賺しの嫌らしさ。
今まで何度も何年も被ってきたことを、いつまで?


これが仕事なのだと、納得すればすむのかも知れないけれど、
今年は過去数年間の中で最も大きい虚しさの穴に落ち込んでいる。
もう、這い上がるのもただただ疲れてしまって、何も出来ない。
その見通しが付く、見えている自分が、先の手が見えている、
見えてしまう自分が嫌で、職場が嫌で、毎日が嫌で、
締め切り仕事野山を片付けても片付けても、気持ちが晴れないまま、
胃はきりきりと痛み、自分の輪郭がぼやけていくばかり。

疲労回復~なぐさめとはげまし

疲労回復~なぐさめとはげまし

ワーグナー:ワルキューレ(全曲

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「やらなければならないこと」を、「やりたいこと」に昇華させることは難しい。
利害関係を、それぞれの思惑をかいくぐって、誰にでもいい顔は出来ない。
糠に釘のような手応えのない、最終的には「ところてん方式」で済ませるような、
そんな結果を得るために、心を砕いて生きたわけではないはずなのに、
最終的には「大盤振る舞い」のいい加減さで何もかもが終わっていく。
どうせこういう形で片を付けないと、先には進めないのだという、
この曖昧な、意味のない、帳尻あわせの結果を求めて、
誠意や努力、熱意や創意工夫はどぶに捨てられたも同然の形。


仕事にやりがいを求めるなんて夢の夢なのかな。
というか、自分の思っている形でなどあり得ないけれど、
せめて自分の思い描いている形の何分の1かで、
人生も家庭も、育児も、人間関係も、人事も、
納得できる時間が、俯瞰してほっと一息付ける時間が、
瞬間が、もっとあってもいいんじゃないかと思う自分は欲張りか?
理想主義なのか?


そんなふうに思えて、どんどん身も心も重くなる。
毎日が、グレーブルー。
人が老眼になって近くのものが見えなくなるのは、
はっきり見えると辛いことが多いからなのかと、
思えるようになってきた。
けれど、このまま行けばどうなるか、
遠くばかり見えるのも考え物だ。
遠くばかり見て、ため息ばかりが増えていくのも。

バロックの旅~私を泣かせてください

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モーツァルト:載冠式ミサ/J.S. バッハ:「わが心に憂い多かりき」

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