Festina Lente2

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休日出勤と時間休

どうしても休日出勤からは逃れることが出来ない職場だ。
というよりも、サービス残業の嵐と言ってもいい。
定時で上がる人も多いが、その代わり誰かがやらない仕事を、
気付いていていても放置されていることを、
誰もしたがらないことを、
誰かがしなければ回らないのが職場であり、仕事というもの。


そのサービス残業に当たる部分や、隙間仕事を埋めてきて数年、
「誰もいない、しない、できない」からと言われて、
そういうものかと思って引き受けてきたが、今年度に限って言うと、
誰でも出来る仕事であるならば、引き受けなくてもいいのだと、
そういう気持ちが角のようにニョキニョキ生えてきて、
抑えようが無くなってきている。


20代の頃、できすぎた高校時代の後輩は、
あれもこれも引き受けて断ることが出来ず、そのまま、
ある日突然、仕事場に来られなくなった。
同じ職場にいたけれど、助けることは出来なかった。
たった一つしか年も違わず、的確なアドバイスも、
さりげないフォローも出来ないまま、
自分自身もあっぷあっぷしながら仕事を覚えていた新人時代。


今、おばちゃんになって私は自分の変わりの仕事が出来るというよりも、
自分でなくてはならない理由は何もない、平等に割り当てられたものから、
ほんの少し自己主張し、休みを取り、自分の持つ資格更新の為に、
勉強会や研修に出て、世間で言う所の「自己投資」だったり、
自己啓発」というものだったり、覚えたことを忘れないため、
最近余りによく使われて下手すれば眉唾物にもなりかねない、
「キャリアアップ」だとか「自分磨き」に当てはまるような、
そんなことに自分の時間を使っている。


定年まで後数年、この資格は全く無為にはならないだろう。
というよりも、自分には何が出来るか、
何を知っているかということの、拠り所になる資格を、
実践を、手元に、頭に、刺激を与えておかなくては、
「人と同じ事」ばかりをしてはいられないのだということを、
年を取ってからしみじみ思い知らされたから。


わがままでもなく、迷惑を掛けない範囲で、
時には自己主張して守らなければ、
今まで取った資格や、その他が無為になってしまう。
それだけは、避けたい。
そんな休日出勤日の、時間休。


それでも、働いて働いて、遠慮して、
サービス残業して、休暇は1週間以上余っている。
でも、盛大にまとめて使える日なんぞ残ってはいないのだ。
仕事とはそういうもの。
この国の仕事は、月曜さえ休みにして連休さえ作れば、
休日が確保できて、消費が拡大し、
福祉が、福利厚生が成り立つなどと考える、
貧困な発想で成り立っているのだから。


大元はいつも誤魔化される。
不義理をするのも義理のうち。
自分で勝ち取らなければならないものは、余りにも多い。

意味の変容 (ちくま文庫)

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