Festina Lente2

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『OBLIVION』を見る

退屈な映画だという噂もあったが、私には十分面白かった。
良くある話、見慣れた、読み慣れた例の話、
例のタイプのSFじゃないかとも思えたが、それでも退屈することはなかった。
一つは映像の美しさ。


一つは年を取ったなあ、トム・クルーズという感慨めいたもの。
だって私の年齢に近いんだもんねと、頑張っているよね、
そういうまなざしで見てしまうので、採点が甘くなるのかもしれない。
驚異的なプロ根性で映画に取り組んでいる役者を見ているのは、気持ちがいい。


ある程度予測のつく話の内容、自分の胸の内であれこれ比較しながら、
仕事を忘れてぼんやり座って眺めていられる夜の映画館は、
ある意味、穏やかな幸せな時間。


世界を守っているはずの自分、維持しているはずの自分が、かつて世界を滅ぼし、
自分は自分一人ではなく、征服者にとって複製された幾千万のクローンの一人にすぎない、
などという発想は、今のSFでは珍しくない。
バイオハザード」だって無限のアリスを増幅・再生、
そして惜しげもなく使い捨てしていた。
人類そのものの中では、人間個人は大勢の中の一人、
たったそれだけのことだと、否応なく意識させられる瞬間。


まあ、英雄的な悲劇的結末ではなく、最後は予想された落ちが付き、安堵。
それはそれで、良かったと思うけれど。
報われない愛、恋、夢、コンピューターに支配された世界から、
解き放たれたような、箱庭的空間での再会のための再生、
再生のための再開をエンディングに据えて。


それでいいのか? それで忘れ去ってしまっていいのかと
突っ込むことはよそう、物語がせっかくそこで形をつけてまとまっている、
まとまろうとしているのだから。

Oblivion

Oblivion


転勤してから初めて。
夜中まで上映される、いわゆるレディスデーの最後の上映回に滑り込み、
映画を鑑賞するほど時間を持つことが可能になった。体力的にも精神的にも。
転勤当初、9時過ぎて起きているのは辛い、それぐらい心身共に疲れていた。
転勤して2ヶ月、ようやく慣れてきたのだろうか。


慣れてきたのだろう。猫を被っている必要もなく、
不機嫌な時は不機嫌に、
納得のいかないことは、納得が行かない。
そんな風に言ってもいい、考えてもいい、出してもいい、
そう思えるようになってきたらしい。


そして、どうしようもなく面倒な奴とは、こちらから持ち上げて話をさせる、
そういう技も使えるほど、少し心の余裕も出てきて。
折れたのではなく、こちらが大人になってやれば済むこと。
借りは作らず、相手をほっとさせ、恩に着せ、潤滑油を塗って、
人間関係をメンテナンスするのは、こちらがすればいいこと、その方が気が楽、と
割り切って仕事をすれば良いだけのこと。


出来ることも、出来ないような危うさで通り抜けることも、
出来そうにないことも、ある程度出来るようにやってのけることも、
力業に持ち込むことも、何気なく不安げで頼りが必要な要素を散りばめながら、
相談という形で情報収集し、出し惜しみする相手の懐具合を計ることも。


そこの見え具合、同じ材料の使い回ししかできない話し合いの、
ここまでかと思える本音に近いものを引きずり出せば、
こちらも無駄な労力も遠慮も要らずに、自分のやり方で少しずつ勝負に出る、
長年のやり方で築き上げてきたものを、
相手の思惑だけで根こそぎ「方針に合わせる」なんてこと、誰が。


忘れてしまいたいことは山ほどある。
なくなってしまえばいいと思うことは、山ほど。

忘却の整理学

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