Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

クロニクル

映画クロニクルを娘と見る。それからランチ。
買い物。アクセサリーキットの本を買う。



娘はどんな風に思ったかわからない。
思春期の少年達が主人公だから分かり易いかなと思ったかーちゃんだが、
さて、しばらく経って思い返してみると、印象に残っていない。
普段仕事で扱うような、ありふれた世界と余り変わらない、
そんな印象が大きかったせいなのか、どうなのか。
映画大好き人間の私の記憶に残りにくかった映画。


思春期のそれぞれの家庭の背景、家族の人間関係、経済状態、
友人関係、苛めと劣等感や優越感、自尊心とない交ぜの様々な感情。
そして「少年」であること、「高校生」でしかないこと。
突然降って湧いたような、「超能力」との付き合い方。


少年版『キャリー』だという意見もあれば、
日本の漫画『アキラ』のパクリだろうという意見もある。
超能力の暴走、恵まれない家庭、重なる部分はあるけれど、
これが青春の自画像として記録される「クロニクル」であることが、
どういう意味を持つのか。


記録しておきたい、忘れたくない、忘れられたくない、その孤独。
青春期の孤独は、大人になってから感じる孤独や劣等感とは
一線を画しているように思える。
ある意味純粋で(了見が狭いとも言う)あるからこそ、暴走しやすい。
爆発することにためらいも無く、防波堤もない。
犠牲が出るまで、出てしまってからでも自分では止められない。
そういうエネルギーの発散の仕方が、どうしようも無く思春期だと思った。


余りにも仕事柄見慣れた景色なので、感動や感慨以前に
日常生活に近しい感じがして印象に残らないというのも、
これまたどうかと思うのだが、正常な脳の働きによるものだろう。
日常の仕事に関するものを全て記憶しておくなんて、馬鹿げているし、
身が持たない、それと同じレベルで記憶処理されたんだなあと。


思春期の葛藤、その余りにも一人一人異なるがゆえの類似性、
悲劇的な心性にいちいち介入していたら、こちらの身が持たない。
寄り添うことはできても、必要以上に入り込まないこと、
それが鉄則。そんなふうに脳のどこからか命令されて、
受け止め方を制御されたような映画、だったと思う。