Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

新月祭の図書館で

昨年に引き続き、大学祭を観に家族で出向いた。
歩いて5分で行ける大学を無視して、自分の母校へ。
異なるのは家人も一緒に出向いたこと。


昨年の新月祭の記事は記事はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/neimu/20071103


娘は昨年同様、お遊びのコーナーと屋台が目当て。
私は福引にも興味があったけれど、家人に母校を見せたかった。
あにはからんや、幸か不幸か大学祭だから連れて行くのだが、
余りの人手の多さに眩暈がしそう。
何でも後夜祭のコンサートが「いきものがたり」らしい。
残念なことに、私にはその価値が全くわからない。
娘曰く、有名なグループなんだよということだが。


本当は学生協の本屋で本も見たかった。様々な展示を見てみたかった。
けれど、着いた途端に迷子になる家人と娘。あんまりだ。
30分余りで再会できたものの、ミナミやキタの繁華街並みに混雑。
学内はホーム・カミングディで訪れている卒業生や、在校生、
有象無象のお客で溢れ返り、気が変になりそう。
文学部の学舎は、子供相手のコーナーがあって、
ストラップ作りやステンシルのエコバック作りができる。
娘を其処へ放り込んで、親達は散策へ。

       

アカペラは思いの外楽しく、シンフォニックのずれた音程には?
留学生の屋台で食べたかった小龍包は売り切れ。
美しさで受験雑誌の表紙の定番、時計台のある図書館へ、
家人と出向けば、知らなんだ、一般開放。
震災以降、全て開架式に建替えられた図書館へ初めて入った。
かつて閉架式の図書が多く、一部の開架式の図書と予約図書のみで
コピーをとるにもその箇所を一々申請していた当時とは、えらい違い。
4半世紀の年月と、阪神大震災は懐かしの学び舎も図書館も変えた。

新版 図書館の発見 (NHKブックス)

新版 図書館の発見 (NHKブックス)

図書館・建築・開架・書架―ライブラリー・アイデンティティを求めて

図書館・建築・開架・書架―ライブラリー・アイデンティティを求めて


寿命が来るまで、どれくらいの本が読めるだろう。
駄文を書き散らしている暇があれば、専門書の一つや二つ、
TVを見ている暇があれば、話題の作品の何冊かを読めるはず。
そう思いながらも、次第に本を読む生活から遠ざかっている実情。
仕事をこなすための資料漁りの読書にうんざりして、
老眼を理由に本から遠ざかっている毎日。
そんな私を知ってか知らずか、周囲の喧騒から逃れるように、
家人はまっしぐらに図書館へ向かう。

 

彼の母校の大学は、地上地下に伸び広がる立派な図書館があるらしい。
私の心の中には、鈍い光を通す摺りガラス、ステンドグラスの図書館。
こんなビルディングではなかった。そのギャップに少々戸惑う。
地下に広々と書庫が脈打つ。血管は書架、血液は蔵書。
体温とも思える本の温もり。何とも言えぬ微かな本の匂い。
空調の利いた静かな空間。今日ここにいる人間は異質な存在。
見学の人間、学外からの訪問者、来客。学生でも研究者でもなく。


まれびとの徘徊する清潔な地下書庫の片隅に、何と喫茶室。
その名も、アルカディア
半地下の構造で外光を取り入れた、可愛い小部屋。
学生価格で値段もお安い。ケーキセット360円。
家人と差し向かい、しばしティータイム。
ああ、蘇る。本に囲まれ本に埋もれ、本に真剣に向かい合い、
本と格闘し、孫引き孫孫引きにしか過ぎない、
稚拙な卒業論文に取り組んだ頃。

 

私が知っている、素敵な図書館。それは図書室の規模から、
旅先での図書館、外国の図書館、遺跡となってしまった図書館。
映画の中で見た図書館。心の中で本を読みふける自分の姿。
扉をめくり表紙を開いたその瞬間から、目に見えない個室の中で、
自分だけの時間を紡ぐ、その守られた空間。
その小さな扉を何千何万と隠し持つ、電脳玉手箱以前の魔法の玉手箱。
それが図書館だった。


そう、高校の同窓会があった一昨日。誰にも会えなかったが、
私は図書部の部長だった。高校には閉架式の4階建ての書庫があり、
其処を根城にとぐろを巻いて、日々ダベリングに徹していた頃。
どこにどんな本があるか日々探検して、うっとりとタイムとリップ。
司書の先生は夜間大学に籍を置く学生で、化粧っ気の無い私には、
綺麗に身繕いしているお姉さんがひたすら眩しかった。


滑り止めの大学に入学した私は、サークルにも入らず、
何の目的も持たず図書室に入り浸り。
新着図書に初手を付けるのを無上の喜びとしていた。
何のことは無い、井の中の蛙バリケード化。
殆どの本が閉架式、借りられる冊数が限られている中、
図書部卒業生権限で高校図書館蔵書を借り出し、卒論を書いた。


  

              


その幾重にも敷居の高かった大学図書館が、今や、
全面開架式になって、広々と目の前に晒されている。。
文学少女のなれの果てが、いまだに文字を連ねる夢を見るように、
アンドロイドが電気羊の夢を見ている間に、
大学の図書館は、ソフトとハードを兼ね備えたしなやかな空間へ。
喫茶室アルカディアと共に、10年以上も船出をしていた。
壁に絵なんぞ飾り、よそ行きの書斎の顔で。

知の冒険、知の旅へ。
電脳コイルの眼鏡を持たない、旧世代の私達。
図書カードに書かれた名前を頼りに、淡い恋さえ読み込んだ私達。
『耳を澄ませば』のシチュエーションに「思い入れ」を持つ。
紙魚(しみ)の住処に、限りない憧れを込めて過ごすひと時。
あとどれくらい読むことができるだろう。
別の世界にワープすることができるだろう。


それが受動的な楽しみを享受する、
逃避的な傾向が強いものであったとしても、
何らかの手立てを講じるべく、
即物的な調べ学習的なものに終わったとしても、
一歩踏み出さなければ、どこにも辿りつく事のできない読書の旅。
その学びの旅に漕ぎ出す船を持たないまま、齢を重ねてしまったけれど、
狸の泥舟を、何とかして葦舟ラー号に仕立てたい私。
遥かなる本の海に漕ぎ出すために。知への冒険に身を投じるために。

そんな思いを抱かせてくれる、思い出させてくれる図書館。
本の世界の、世界への扉の、揺りかご。
大学を後にする私の心にちらりと浮かんだ設計士。
大学の知性とも言うべき人工知能に等しい図書館という
「ボディ」を構成し、組み立てた人にも思いを馳せる。
震災から蘇った大学図書館は、娘の生まれた年に、
第15回日本図書館協会建築賞を受賞した、
太田恭司氏の作品。


大学祭は、思いがけない思い出を運んでくる。
喧騒の彼方、静寂の空間。蔵書の壁とアルカディアで、
私は家人と物思いにふける。

建築家の自由―鬼頭梓と図書館建築

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つくる図書館をつくる―伊東豊雄と多摩美術大学の実験

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