Festina Lente2

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『わが谷は緑なりき』

過去を振り返り、辛いことや苦しいことよりも、
楽しいこと、嬉しかったこと、幸せだったことが蘇る。
心にいつまでも生き生きと残る人々の思い出だけが去来する。
何とも意味深な映画の前置き、幕明け。
“How Green Was My Valley”


おそらく20代半ば30代では、この映画の良さは分からなかっただろう。
今この年齢だからこそ、しみじみとこの映画を味わえる。
家族が家族であること、家族が集うということ、悲しみや喜びを分かち合い、
時には反目し怒鳴りあい、世代間の溝を感じ、誤解されることはあっても、
親であり子である事に代わりは無く・・・。


親子、きょうだいで呼び合うヨーデルのような美しい響き。
仕事を終えて帰る道すがら合唱される賛美歌、
炭鉱の町という貧しいイメージからは程遠い、
現代の生活の中で失われてしまった、生活の潤い、生活の質の高さが
感じられる場面場面。胸が熱く、或いは切なく痛くなる場面。


時代背景、政治的・宗教的な絡み、そういうものを通り越して、
白黒の画面が訴えかけてくるものは、人の心の気高さ、
相手を思い、心を尽くして悩み苦しむ誠実さ、
悲しみ苦しみに耐えて流す涙の美しさ。
心と心のつながりの強さ。


石炭に塗れ、人生の塗炭に塗れ、抗えぬ運命の塵あくたに押し流されて、
なおかつ、「わが谷は緑なりき」と言い切ることのできる心の強さ、
その気高く慎ましく懐の深い人生への眼差しに、驚嘆し憧れる。
自分が人生の終わりに自分の歩いてきた道を振り返り、
「我が人生に悔い無し」「わが谷は緑なりき」と言い切ることが出来るだろうか。

わが谷は緑なりき [DVD] FRT-113

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今日やっと手に入れたばかりの足底板を足に装着、甚だしく違和感。
これで本当に痛みが消えるのだろうか? 疑心暗鬼。
映画の中で母を助け、凍った池に落ちた少年ヒューは凍傷になり、
歩けるか歩けないか分からないと医者に見離される。
10歳の少年に襲い掛かった過酷な試練を、心穏やかに支える牧師。
春の野山に牧師に負ぶわれ出かけた少年が、歩き出すシーンは、
アルプスの少女ハイジ』のクララが歩き出すのと同じくらいハラハラドキドキ。
私の足はそこまで重篤ではないのだから、大丈夫と自分に言って聞かせる。
痛いけれど歩ける。痛みはいずれ消えるはず。
周囲に足底筋膜炎(腱膜炎)になった人はいないけれど、
まあ、いずれ軽快するだろうと何の根拠も無く映画を見ながら思った。


歌に込められた様々な思い、祈り、感謝、祝い、景気づけ、哀悼、
女王陛下の御前で歌う事を誇りに思う合唱団。
しかし、誠実で温かい家庭に運命は残酷な糸車を回す。
長男が事故死、長女は意に沿わぬ玉の輿に悩み、あらぬ噂を立てられ傷つく。
良き稼ぎ手は高給取りであるが故に、誰よりも早く首を切られ、
新天地を求めて故郷を離れて旅立つ。家族はバラバラに。


末息子ヒューから見る世間は決して明るいものではない。
尊敬すべき父が失墜し、頼もしい兄が次々去り、優しい母が老いて弱る、
大切な人々が去っていくのをつぶさに見ながら成長していかなければならない。
身分差、貧富の差、差別、いじめ、喧嘩、進学よりも家計を支える労働、
生きる為に前向きで切実な世界が展開。
この世界を前にすると、自分の体調の不良など些細なことだと思えてくる。


各場面に効果的に使われる歌、合唱、ヨーデルのような呼び声。
まさか、冒頭シーンに使われたあの少年の美しい呼び声が、
落盤した炭鉱の中で老父を探す時に呼ぶ声に変わるとは、
瀕死の父親の耳に届く愛息の声になろうとは、何という悲劇。
そして、老父の最後の言葉。危険を冒して炭鉱の中を探しに来た息子に、
「お前はもう一人前の男だ。」
親から掛けてもらう言葉で、これ以上のものがあろうか。
親から寄せられる信頼、愛情、全てが一言に込められ、映画は終わる。


ヒューがどのような一生を辿ったか。その後のことは記されていない。
全ては追憶の中にある。両親もきょうだいも、仲間と過ごした日々も。
全ては自分の人生を肯定することのできる、今までの中に刻まれている。
もう戻っては来ないだろう、この土地、この谷。
別れを告げるに際して、蘇る思い出に励まされつつ、
新しい一歩を踏み出す。


悔いを残さず生きることの難しさを、切実に感じている今。
年度末の、心寒々として慌ただしい日々に、
この白黒映画の、何と瑞々しく力溢れた世界よ。
わが谷は緑なりき』この言葉をためらい無く口に出来る、潔い人生。
そういう生き方に憧れ止まぬまま、夜は更ける。
何度見ても、感動する映画。本日のBS洋画劇場。
DVDを持っているにもかかわらず、今日も見てしまいました。

ジョン・フォードの旗の下に (リュミエール叢書)

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