Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

極北クレイマー気分

ボランティアで有意義な活気のある一日を過ごした後、
本業である現場へ戻ると、活気に欠けた鬱屈した気分に押し潰されそうになる。
これではいけないとは思いつつ、気分は極北クレイマー気分。
そう、あの『チーム・バチスタの栄光』で有名になった海堂尊の作品にしては、
動きが少ないというか、鬱屈した作品というか、
医療の闇の部分を取り上げるにしても、下世話でワイドショーじみた作品、
もう少し専門的な何かがあってもいいかなあと思わせる作品なのだが、
主人公の立場と鬱屈した気分が、この1ヶ月間の自分と重なるものが多々あり、
どうしてもしみじみしてしまう。


これを極北クレイマー気分とでも言いましょうか。
少々やさぐれた、いや、ささくれた気分ですが、
組織の中には似たような立場や役職、同僚がいるものだとクスリ。
ここまでひどくは無いのだからそう悲観することもあるまいと思ってみたり。
極北クレイマー気分を打ち破ったのは、些細なことではあるのだけれど、
ボランティアの現場に至る直前に何とか気分が上向きになり、
それなりの成果を見る事が出来てほっとした。


何が幸いするかわからない。
人生万事塞翁が馬。
誰にも笑顔を振りまく八方美人にはなれないけれど、
まあ、神様は落ち込みも揺り返しも脱出のきっかけも、
一応平等には振っているつもりらしい。
それを上手くつかめるかどうかは本人次第というわけで。
この一ヶ月間手元に『極北クレイマー』を置いたのは無駄ではなかったようだ。

極北クレイマー

極北クレイマー

ジェネラル・ルージュの伝説 海堂尊ワールドのすべて

ジェネラル・ルージュの伝説 海堂尊ワールドのすべて



聞く事を、それも聴く事を中心に仕事をすると、
その反動として、「自分を聞いて貰えない」(認めてもらえない)、
やるせなさが怒濤のように押し寄せてくる。
一定の澱が溜まると自分自身が「持たない」と思う。
何もかも受け入れることなど出来ないから。


話す事を中心にして仕事をすると、
聴く時同様「相手軸相手軸」と思いつつ、ノルマに追われ、
効率をせっつかれる現場との折り合いに苦しみ、
自分が擦り切れていく感覚に、徒労感にまみれていく。
心から充実したインプットが欲しくなる。


例えば、花が咲く前には種を蒔かねばならぬし、
種を蒔く前には土を耕さねばならない。
耕す前には土を休ませ、或いは肥料をやり、手入れをして
土壌を作る。その行程があってこその開花の美しさであるのだが、
人は咲いている花を見ても、種を蒔き土を耕す所は思い至らない。
ましてや土を作らなければならないということさえも。


種さえ蒔けば花が咲くと思い込んでいる人がいる。
花は必ず咲くと、咲かないのは庭師が悪いと思い込んでいる人も。
種が悪い場合もあるし、天候が悪い場合もある。
人の手は神の手には及ばないし、人の手を心をこめて掛けても、
最初から及ばないことも多い。
その目立たない時間の掛かる所ばかりを任されて、
何もしていないね呼ばわりされる立場としては、
嘆息して天を仰ぐしかないのか・・・と拗ねたくもなる。

ぶれない―骨太に、自分を耕す方法

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種を蒔く日々─九十歳を生きる

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そんな時、真実を知りたいと願うことは相手を裏切り追い詰めることもあり、
自分とは全く異なるタイプの人間の無垢で無私な仕事の在り方を、
本の登場人物の中に見出し、やるなあ、凄いなあと素直に感心し、
或いは憎まれ役の面々のあざとい行動に、惨いなあとんでもないなあと呆れ、
憤り、落ち込み、哀しくなりながらも、「事実は小説より奇なり」だから、
ここで一喜一憂してもなあと自分を省みて、あれこれもの思う年度末年度始め。


それも、責任を持ってどうにかやりきらねばと思っていた書類仕事と、
ボランティアを乗り切って、妙な追い風と家族旅行のご利益で、
何とか4月を乗り切れそうな予感。
「愚痴をこぼして強くなる」「マンモスはちぎって食え」
あの「握手』の中の言葉。


「『困難は分割せよ』あせってはなりません。
問題を細かく割って一つ一つ 地道に片付けていくのです。」
穏やかな握手と共に去ったルロイ修道士は、
葉桜の終わる頃天国へと旅立ってゆく。毎年春になると訪れる、
気鬱のもどかしさ、これを如何せん如何せんと思っているうちに、
長い長いトンネルを抜けるかのように、予定が終わっている。
そうやって闇雲にばたばたしながらでも毎日が過ぎていく。


人は人の都合で動き、自分は自分の都合で動く。
「世のため人のため」という言葉はあるが、
自分を全て犠牲にしても、(それくらいの意気込みで物事に当たっても)
成果が見られず、「小さな親切余計なお世話」状態どころか、
なしのつぶてであったりすると、全くどうしていいか途方に暮れる。
そうやって途方に暮れながらも、「明けない夜はない」と言い聞かせ、
モットーの「亀の歩み」ゆっくり急げを意識する。
そんな一日。辛い寂しい極北クレイマー気分だけれど、撤退は出来ない。
今は、「ここ」で踏ん張りとどまり続けるしかない。


八重の桜も散り初めた。その道の向こうを、
花びらを踏みしだいて歩いて行こう。

桜と日本文化―清明美から散華の花へ

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文香 散華

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