Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

阪急電車

パンフレットにも載せられた映画の中の言葉。
これは、誰の心にもちょっと切なくしみこんだかも・・・。
−−−ひとはみなそれぞれ
   いろんなやりきれない気持ちを抱えて生きている
   死ぬほどつらいわけではないけれども
   どうにもならない思いを抱えて生きている
   そして、その気持ちは誰にも言えないのだ−−−
 


実は原作を読んだ時、ちょっと説教臭さを感じて好きになれなかった。
こなれて過ぎいるというか、妙にあざといというか、
結局は期待を外さぬ予定調和、こんな風にうまくいくなんてねと、
思いほのか違和感が強くて馴染めなかった私がいた。


長年培ってきた僻み易い認識の枠組みは、私を素直に泣かせてはくれない。
カタルシスなんて簡単に得られるもんじゃないよと、頭の片隅で何かが囁く。
フェイスブックで演出された偶然を見せられているような、人と人との触れ合い。
これは結局「リア充」ってこと? 
どうしてもこの構成と顛末が鼻について仕方なかった。


でも、映画は素直に楽しめて笑えて泣けた。
隣の人も結構泣いていた。映画の日だけあって男性の観客も多い。
若い人も私より年配の人も、それなりに「阪急電車」の世界に癒され、
「袖触れ合うも他生の縁」の世界も悪くないねと思ったのでは。
それにしても母校を画面で見るのは、何となく気恥ずかしいものね。


おまけに自分でもびっくりしたのだが、あの、品のいいおばあちゃんが、
宮本信子だとは気が付かなかった。いや、本当に化けてくれていた。
『お葬式』『マルサの女』などの様々な「・・・の女」シリーズで、
監督である夫の伊丹十三と夫唱婦随の名コンビで名作を打ち出し、
一世を風靡した女優、宮本信子
世間を驚かせた哀しい形で彼女が夫を失った後、
私の記憶から随分長い間宮本信子の記憶は消えてしまっていた。
それが、関西を舞台にした映画で再び目の前に現れるとは。


若手の俳優がひしめくこの映画の要は、何と言ってもこのおばあちゃん。
寡婦で孫の世話を引き受け、電車の中でまるでカウンセラーのように、
生き字引ではなく、時に教師・先輩・アドバイザー、お目付け役、
女・母・祖母として活躍する、その側面の自由闊達な変化(へんげ)が、
ほんのり上品な関西弁とあいまって、何とも楽しい。
銀髪カールと眼鏡の奥から降り注いでくる声に、はっとさせられる。
さすが、鍛え上げたベテランの演技力の面目躍如、
要所要所を締めていた。


若手の演じるエピソードで心にずんと来るのは、結婚と恋愛。
どちらをとっても傷つくのは女の側で、
見ていた男性諸氏は居心地の悪さを感じなかっただろうか?
(おばあちゃんの思い出の中の、若き日の夫は犬に噛まれていたし)
絵に描いたような「こんな男を選ぶの?」という男性が、
後輩に寝取られた女性が乗り込む結婚式のホテル、
ああ、大学の卒業式の謝恩会のホテルだった。


そしてDV男に悩まされる女性。別れ話の談判の場で、
友人がへし折ったケータイを見た時、ドッキリすっきり。
そして別れる前と後のファッション、化粧の仕方、
雰囲気の違いは実に見事。
けばくて下品で軽くてという装いが一転、上品な今時の格好に。
大阪と神戸のファッションの違いのようでもあったが。
ちなみに、DVで悩む方はsachicoへ。


逆に同じように「あほやねん」と噂されていた社会人の彼氏と、
受験に悩む高校生の女の子。「いい恋している」の見本。
PTAの付き合いにうんざりするも、断る勇気の無い家庭の主婦。
いじめに悩む小学生。居場所を探しあぐねている地方出身の大学生。
大人も学生も主婦も少女もみんなそれぞれ悩んつつ毎日を過ごしている、
その背景に小豆色の電車がガタゴト走っている。
人の思いを抱えているのは、人ばかりではない、
人の生活を支えているのは、物言わぬ背景であったりする。

阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急電車 (幻冬舎文庫)


阪急電車。家人と二人で観た今日の映画。私は原作を読んでいる。
そしてその反響の大きさにちょっとびっくりしている。
家人は読んでいない。てっちゃんの彼は純粋に電車本位。
おまけに毎日利用している阪急電車に入れ込んでいる。
写真を撮って何かに応募していたはずだった。


しかし、彼は知らない。阪急電車は路線によって世界が違う。
いつも乗る京都線・千里線、かつて私が利用した神戸線今津線
そして私が乗ることの出来なかった宝塚線、全く世界が違った。
学生の服装も話題も、主婦の装いもアクセサリーもバッグも。
バブルがはじけて、震災以降、そして不況の今現在、
その個性の違いは幾分薄まったのだろうか。
私が大学生当時、本当に上下ジーパンだった私の姿は、
映画の中の軍オタの如く浮いていたのだが。


小説を映画化する際、様々な問題がある。
それ以前に阪急電車の乗客である人間が、どんな思いでこの映画に感情移入?
もちろん阪急電車そのものを知らない人も、それぞれの思いを投影して
見られるかどうかがポイントではあるのだが。


阪急電車。まず宝塚線。華やかな歌劇の大劇場を連想させるよりも、
それは第一志望の大学に通うことが出来なかった苦い思い出に繋がる。
挫折と言ってもいい。努力しても報われないというか、
努力が足りなかったと言うべきか、宝塚線に乗ることは叶わなかった。
初志貫徹して浪人、晴れて第一志望の大学に合格したかつての同級生、
もしくは後輩と梅田で別れて、滑り止めの大学に通うために乗った
神戸線今津線。乗り換えの西宮北口は平面交差で有名な駅だった。


私の青春時代の個人的背景が、映画の舞台「阪急電車今津線」を苦くする。
そして後輩たちも犠牲になったあの阪神淡路大震災で、
昔懐かしい町並みは破壊され、今のような形になっているので、
母校周辺に立ち寄らずに過ごした時間が大きい。


むろん楽しい思い出もあるにはあるが、当時は18歳。
人も羨む恵まれたキャンパスライフを心行くまで楽しむことが出来ず、
卒業してから己の視野の狭さ、不甲斐なさを悔やむというパターン、
この人生脚本は何度と無く繰り返され、私の思いきりの悪さを反映、
失敗と反省という路線を往復している。


娘が生まれてからは素直に母校が誇らしく思え、
美しいキャンパスを自慢したくて、連れて行ったが、
校舎もかつての並びではなく、周辺にあった学生の店も様変わりした。
人と共に移ろう街、そして電車も。
思い出が去来する。ダイエットとは無縁の片道2時間の通学時間。
1時間目のドイツ語の予習が間に合わず、辞書を広げて座った朝。
校舎は今でも有名なヴォーリスの手によるもの。
あの時間は、時計台の下で本を読み待ち合わせをした日々は、
阪急電車に揺られた日々だった。


映画のように素敵な恋愛も辛い恋愛も縁が無く、
学問にも打ち込まなかったことが今でも大きな後悔。
そういえば、有川浩の『植物図鑑』をさりげなく宣伝しているモチーフ、
映画の中にちりばめられていたのに気付くのは原作者ファンの楽しみ。
一緒に映画を見なかった娘と共に、もう一度この映画を見に来ようか、
甘さも厳しさも兼ね備えた、「女の生き方、処世術」のためにも。
とーちゃんの隣でそんなことを考えているかーちゃんだった。

HANKYU MAROON WORLD2010 阪急電車のすべて (HANKYU MOOK)

HANKYU MAROON WORLD2010 阪急電車のすべて (HANKYU MOOK)

植物図鑑

植物図鑑