Festina Lente2

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後ろ向きの会議

とあるプロジェクトに向かっての最終会議、だそうだ。今日が。
ここでのやり方は初めてだし、責任者ではないので、
表立って「出張る」事はできない。それにしても、
いくら私がこの方面の仕事の中心に関わった事は無くとも、
何がどう動くべきか位はわかる。
それよりも重要なのは、今日、会議に集まる理由。
仕事の流れや手順を確認するだけではなく、
目標と危機管理を再確認し、お互いのモチベーションを挙げる事、
・・・だと思っていたのだが。


押し付けられ感、仕方がない感、どうにかなるさ感で溢れた会議、
この仕事に就いて長いが、これほどダダ漏れの会議は珍しい。
職種はともあれ、職場が異なると、こうも酷いのか。
ある意味、大勢の人の命や安全が関わっているにも拘らず、
他人事で動いているのか、それとも最低限のマニュアルさえあれば、
どうにかなると思っているのか。
想定外でどうなるか、もしもの場合、このような場合、仮に、
そういう危機管理はないのか。出たとこ勝負で流れていいのか?


私には付いていけない。しかし、十把一絡げで巻き込まれて、
仕事をせざるを得ない状況。今、できる事は?
定年を控えた経験者たちが心配していても、当の担当者は、
「わかりません、知りません」の一点張りで、動こうとしない。
責任者は、「それぞれの担当者に任せてます」で、のほほん。
省エネで済むなら、指一本動かしたくないという様相。
そして、それとなくアドバイスしようにも、
普段のお付き合いの無い人からの言葉に、耳傾けるまじの若手集団。


ここまで放り込まれたチームが凄いとは思わなかった。
今日の会議で、心底、「駄目だこりゃ」と思ったが、
愚痴を言うだけでは始まらないから、綻びは破れる前から
縫う事を考えねば。中間管理職でもないけれど、
年齢・経験からして、そう動くものなのだろう。
釈然とはしない、気分の良いものではないけれど。

だから、ここ最近、仕事の事が書けない、書きたくない。
で、来たけれど、今日は言わせてね。(毎度の事ですが)

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アイデア会議

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個人的な事情はさて置き、仕事における見通し
「どうにかなるさ」危機管理の甘さは事故につながる。
事故や怪我、病気など突発事項は起こるべくして起こるから、
気持ちの上で備えて、準備、イメージしておけば何とか対処できる。
何も考えずに、取り合えずマニュアルがあるからで、
確認せず流すのは? 担当部署が連絡会議を持たず、
単独部署から上がってきた文書を、そのまま羅列して合冊するのでは、
安易なマニュアルで、横の連携は全く無い、各部署の主張のみ。
融通や配慮は何処? 会議の場でいきなり「直し」に入るとは。
それを調整とは言わない・・・。
全員ゼロからイメージして、手直しにかかるというのは難しい。
予備段階で調整して、本会議ではできるだけ微調整が望ましい。
でなければ、何もかも検討課題になってしまう。


審議事項も検討課題もごちゃ混ぜ、連絡事項も確認事項も一緒くた、
こういう仕事ぶりでも気にしない職場だということが、凄い。
だから、放り込まれているということもわかっていても、
私の頭は真っ白になっていくばかり。自分も含めて病人を増やさず、
退職・離職する人の心労を減らして、若手の職場教育になる事を見つけ、
ひそやかに準備するくらいが関の山。


でも、一番びっくりするのは、この職場は人に聞かない、尋ねない。
誰も知らない、何も決まっていない、その場の成り行き任せで
来ているということだ。肝心な部分で。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」聞けよ、訊けよ、聴けよ。
経験知で学ぶ蓄積と、文書で管理する部分、双方必要。
入れ物は決まっている。中身をどう詰めるかで、物事は変わる。
お弁当だって、職場の人事配置だって、プロジェクトのメンバーと
役割分担だって同じ、全く変わらないというのに。


みんながお山の大将で、それぞれのやり方で動いている。
若手が提案する時の台詞が凄い。「面倒だからやめましょう」
「〜すれば……できるようになる、し易い、わかり易い」とは、
言えないのだろうか。マイナスのストロークの応酬が続く会議は、
精神的に萎えて来る。会議を前向きに進ませるよりも、
うんざりさせる。ともにチームを組んでいる事が辛くなる。


先週の「ちりとてちん」はテーマが「人の振り見て我が振り直せ」
私だって自分の子育てに対して、物言いに対して海よりも深く
「反省」の毎日だが、自分に対して娘に対して家人に対して、
感謝の気持ちやプラスのストロークを忘れてはならじと、
必死に守るべきところを守ろうとしている。


家庭においては家族を、職場においては相手をする人間を、
ないがしろにしてはならない、厳しい意見を差し挟んだり、
時には揉めたり対立したりするのも、より良い方向を目指すためという、
そういう思いがあってこそのやりとり、と信じて仕事を続けて来たのだが、
ここでは通じないのだろうか・・・。
大過なく過ごさせて頂き」の台詞を言う前に、
ねぎらい、助言し、労わる雰囲気が無いままズルズルと、
解体だけを進めて構築しない組織の終焉。


昨年創り上げたものが、紙切れ一枚で崩されるのを目にした時、
長年この繰り返しならば、年長者は動かないだろうと思っていたが、
結局若手もその形を踏襲して、呑まれたままで、
本来の仕事の仕方、そのための会議の持ち方を知らないまま、
最低限の連絡・確認事項でぎりぎりに動くのだと思うと、
哀しくてやるせない。そして、口を挟む機会も時間も限られていて、
間に幾つもの機関・組織・予算が絡み・・・。


物事のイメージが掴めないまま、動き出そうとしている。
後ろ向きの会議。検討課題、善後策以前の問題。
回を重ねる度に露わになる、何も練られていない隙間。
会議の持ち方というものを体験して覚えるものなのか、
それとも、マニュアルに頼る世代なのか、
より良くしようという意図を持って臨むのでなければ、
何のための集いなのか。3人寄れば文殊の知恵でも、
船頭多くして船山に登る以前に、船頭は誰もいない。
先導は、誰もしない。みな、闇雲に自分のイメージで進んでいる。


人は石垣というけれど、石垣になる素材を石垣として意識させねば。
ただの石を置いただけでは、石垣にはならない。
この辛さ。このせめぎ合い。本当にそれでいいの?と尋ねても、
手の空いた誰かが埋めてくれればいいでしょうとの答。
それは、誰の事? この2週間、胃の腑が引っくり返らないかと、
そればかり気がかりになってきそうな、今日の会議の雲行き。

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