Festina Lente2

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旧友との再会

事務的な連絡と個人的な頼み事があって、旧友に電話をした。
バイクや車であちこちふらっと出て行く人だし
季節柄何かと行事の多い時期、
いろいろ何かと忙しいだろうとは思ったものの、
他に電話できる相手も無く・・・。


予想を裏切り、あっという間に「家電」が繋がった。
連休初日、家に居るんだなあ。予想外。でも助かった。
そんな気持ちでいつもと同じ、旧友の声を聞く。
でも、旧友の方はそんな穏やかな毎日ではなかった。
というか、表面上は穏やかに暮らしているというか、
自宅療養中の身の上になっていた。
とりあえず、夕食を一緒にとることに。


実は旧友の母上が、再発した癌に倒れて1年。
今年の年賀状の段階で、年明けの喪中の葉書が来て知った。
以来、ずっと気になっていた。色んな意味でどうしているか。
別の所から仕事を休んでいるようだという噂も聞いていた。
真偽の程を確かめるには、直接連絡を取らなければならない。
しかし、きっかけが無かった。
おせっかいを焼くわけにもいかなかった。
どうしていいものかわからずに、春から夏、そして秋。


珍しいことに殆どひきこもりの母が突然、外出を所望。
新聞を見て、「コロー展」が観たいとのたもうた。
美術展が好きだった頃の、昔の母に戻っているのか。
今週気が変わらず、出かける気になっている。
休憩場所兼食事場所を予約。家人の運転で出かける予定だった。
されど、私の運転では無理。家人は既に祖母の仮通夜に。


珍しく外出を望む母の希望を叶えたかった。
前日部屋を押さえているのに、食事場所をキャンセルするのも・・・。
どうせなら、「母の覚え」めでたい旧友に助けて貰おうと思い、
同窓会の連絡・相談もあって、電話したのだ。
旧友の声を聞きたくて、本当は会いたくて、
・・・頼りたくて。

ひと言の奇跡―あなたの周りの風景が変わる100の話

ひと言の奇跡―あなたの周りの風景が変わる100の話


高校からの付き合いなので、四半世紀どころではない。
その昔、クラブのみんなが家に遊びに来てくれた時、
おろしたての白い靴下で訪れた彼を、母はいたく気に入っていた。
今のように認知に問題がある以前から、気難しく人見知りをする母が、
好意的に人を受け入れるというのは、珍しいこと。
また、今になっても記憶に残っているというか、
昔の出来事だから、記憶により残っているというべきか、
母のご機嫌宜しいように、旧友にすがった私。


いつもと変わらぬ「朴訥な饒舌」とも言うべき口調から聞く話は、
私にとっては目が点になる出来事ばかり。
お互いの母親の病気のことよりも、旧友自身の病状に、
病気を取り巻く環境、状況、事の顛末に、
現在進行形の話の内容に内心驚かされ、心配になり、
少し安堵し、納得。
しかしながら、その軌道修正中 兼 養生中の生活に、
私の我侭な依頼は負担にならないかどうか、危ぶんだ。
・・・何となれば、NOと言わない人だから。


全くの同業者ではないが、仕事の中身と上司との関係、
同僚とのあれこれは、それなりにわかる間柄。
というか、どんなに年を取っても仕事をこなしても、
お互い若い頃から変わらない部分が、依然としてある。
それは悪いことでも何でもなく、嬉しいことなのだが
もしかして久しぶりに会うので、以前のイメージを再現?
してくれているのかな、気遣って・・・と思ってしまう。
・・・何時も優しい人だから。


思い出の中にある時間。四半世紀を巻き戻す。
あれこれ質問したり、問いただしたりはしない。
話は進む。話題は尽きない。
そして、珍しい言葉を聞いた。
「悪意や、悪い人っていうのは本当にいるものだなって、
 最近思うようになってきた。」
基本的に性善説の立場を取って来た筈なのに・・・。


そして、そういう発言を聞くことができて、
何だかやっと安心している私。
これが、私たちが年を取った証拠とまでは言わないけれど、
精一杯の努力をもってしても、乗り越えられないものがあるように、
信じても信じようとしても、裏切られ続ける現実に、
疲れて擦り切れてしまうことが「弱さ」ではなくて、
当たり前の「疲弊」だということを、
口にしてくれて、ほっとしている私。


自分の側ではなく、関係の無いところに、
善意や努力では埋められないものがあることを、
口にできるということに、ほっとしている私。
今までならきっと彼は、「それでも自分は人を信じたい」
「努力を続けて行きたい」「人間の基本は善」だと言っただろう。
でも、そう思えなくなってきた。
仕事が嫌だなあ、辛い、しんどいと思うと口に出した。
そのことにほっとした、私。


頑張り続けたい、何が何でも頑張り続けたいと言われたら、
きっと私は辛かった。その方が心配だった。
打たれ弱い私と違って、弱音を吐かずにばてていく。
弱音を吐いて、周りを心配させることを気にして、疲弊する。
そんな真面目さや優しさ、気遣いに、
素直に安心できる時代ではなくなっているから。
哀しいことに。


でも、それでも、私だってそんな昔の理想や夢を、
捨ててしまった訳ではない・・・のだけれど、
哀しくても、距離を置かなくてはならないことが増えていく、
そんな仕事の毎日だから。
そうして自分を守らないと、やっていけない毎日だから。
「今の目標は、できるだけ長生きすること」
そんなことを言うようになった旧友。


私もそう言いたい。
「100歳まで生きてね」と言ってくれる娘がいるから。
迷惑かけずにぽっくり逝けるなら、寿命は欲しい。
呆けたり長患いにならずに、あっさり逝けるなら。
そういう話題で盛り上がるには、まだ早い年齢。
でも、今週はこの手の話題が付いて回る。
縁起でもない話題でも、避けずに話せるようになって来た?
旧友との再会。

日本という方法 おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)

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