Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

思春期教室

仕事柄色んな所へ行くが、病院の思春期教室は初めてだ。
だが、実際妊婦の為の母親教室、昔風に言えば母性講座、
今風に言えば両親教室、プレママ・プレパパ講座。
その延長線上にあるように感じた、というのが第一印象。
もはや子供を持ったせいだろうが、余り目新しいものは無い。
独身・出産経験なしだったら、かなり刺激的だったかも。
何しろ本物の胎盤を見たり触ったりもできるのだから。
これが今日一番の感動かもしれない。

中・高生に命の尊さ、性教育を教える思春期教室。
しかし世の中には頑迷な人もいて、子供には性教育は必要ない。
中高生に余計な性知識は、性非行が増えると思っている人がいる。
交通規則を教えずに道の真ん中に放り出すようなものだ、
とは思っていないらしい。事故ってから手当てしろとでも。
親が周囲が性に関する知識を教えるということは、
コミュニケーションの基本を教えると同じことだ。
自分を大切にし、相手を大切にする。
その延長線上に、性と生、生と性が螺旋構造に絡み合っている。

 

3時間にも満たない研修だったが、新生児室の見学から始まり、
思春期教室の流れを聞き、病院内を見学できるのは新鮮かつ・・・
懐かしい体験だった。母親になる過程を再体験したと言ってもいい。
コットに眠る小さな命、元気な泣き声、あまりにも小さい手足、
刻一刻と変化する新生児たち。娘の誕生時が蘇る。
当時の自分の葛藤も蘇る。
予定日より1週間遅れで入院、促進剤を使ってもなかなか生まれず、
ようやく2週間遅れで出産。4人部屋での思い出。
今でも娘にバースデーカードを下さる助産師さん。


あれから9年、随分距離を置いて、生と性を見つめる立場となった今。
生まれて初めて実際に触れる胎盤のずっしりした感触、
3枚あるという羊膜、滑らかで思いのほかしっかりした袋に、
ゴムよりもしなやかで滑らかな白く輝くへその緒に、
感動と愛おしさを感じる。
赤ん坊の命を育み守り育ててきた、胎盤
胞衣(えな)と呼ばれるのが納得できる、子供を入れる袋。

 


私も出産当時、お願いしてベッドの上から胎盤を見せて貰った。
当時臍帯血利用にサインをしていたから、どうしても一目、
自分の胎盤を見ておきたかったから。
双子分の大きさと言われた800グラムの胎盤
超高齢出産でも娘を無事に産めた喜び。
私は自分の体、胎盤に感謝した。


でも、その胎盤は医療廃棄物として業者に行くのだと聞かされ、
本日ややショックを受けた。
無機質な表現で述べられると、あっさり聞こえるものの、
何だか排泄物と同じ扱いという感じで、少々哀しい。


出産や妊娠をわかり易く説明するための模型やモデル、
そういうものよりも遥かに自分の出産体験を思い出させてくれる、
胎盤そのものの存在。役目を終えて無事日の下にさらされて、
赤ちゃんの命の源が、どんな形でどんな色をしているのか、
想像と実際の差を、しみじみ考えさせてくれる。

 

首の座らない赤ちゃんの模型、
ピンクとブルーのお洋服の男女新生児セット。
中絶のための器具。妊婦体験セット。
様々な資料、ビデオ、説明。
現在の人工中絶率、低用量ピル利用との関連、
性教育を実践するために、職場の管理職の姿勢が重要ということ。
などなど、盛り沢山の3時間。


この病院で長女を出産した友人がいたっけ。
既に彼女は女医さんになっている。
そう、同級生の子供たちはそれほど大きい。
私は幸か不幸か、これから思春期の娘と向かい合っていく。
だから仕事上もPTAとしても、思春期教室の内容を知るのは大事。
どんなふうに現場の助産師さんが頑張っているか、
滅多にお会いすることができないのだから、
色んな質問が飛び交う。みんな熱心。

活気溢れる研修後、独り、1階のチャペルで祈りを捧げた。
喜びに満ちて洗礼を受ける赤ちゃんもいれば、
哀しく見送られる赤ちゃんもいる。
そう、ここはキリスト教の精神に基づいて建てられた病院。
南北戦争の従軍医師が、ナイチンゲール看護学校を出た看護士が、
多くの外国人が病院の礎となって、一から開いた場所。
2005年に今の新しい病院となったものの、現在NICUは使われていない。

 

毎日新しい命が生まれる場所に触れることができた、今日。
Festina Lenteは800日を越えて、綴ることになった。
ちょっとした記念の一日。
自分の遺伝子の中の私。娘の遺伝子の中の私。
娘の遺伝子の中にある家人。
・・・深夜、娘の曾祖母、家人の祖母が大往生の知らせ。96歳。
偶然、シンクロ? 訃報と命に思い巡らす今週。

命のたいせつさを学ぶ性教育

命のたいせつさを学ぶ性教育